海洋堂 ガラモン

 かつて、「宇宙船」という雑誌に、高山良策さんの造形日記が掲載されていたことがありました。怪獣のスーツメーカーという存在を意識したのは、それが初めてだったように思います。当時、「宇宙船」では、デザイナーの成田亨さんとスーツメーカーの高山さんにスポットをあてようという雰囲気があったように思います。成田さんは、デザイン画の掲載特集や、書き下ろしイラストの連載記事、そして2冊にわたる画集の発行などが行われました。(余談ながら、近年発行された成田さんの回顧録「特撮と怪獣」では、デザイナーとしての成田さんの円谷プロに対する屈折した思いが、かなり辛辣な口調で語られていました。一読後、ずいぶんと驚きと当惑を覚えたものですが、確かに成田さんの名前がクローズアップされるのは、第一期ウルトラシリーズ放映からずいぶん時間が経過した後であったのかもしれません。)


 高山さんの連載【3D MONSTER MANUAL】は、ご自分がスーツを作られたウルトラ怪獣をピックアップして、新しい解釈で1尺(約30cm)モデルとして作り起こすというものでした。こちらも、魅力的なラインナップで、ガラモン、ペギラ、ギエロン星獣などが掲載されました。いずれも、本編の画面上で見る怪獣とは違った、独特の雰囲気があって実に印象的な作品ばかりでした。

 その連載記事の第一回が「ガラモン」でした。(「宇宙船」vol.9 1982年冬号) 人が入るという制約を受けざるを得ない実際のスーツと違って、オリジナルのデザインを生かしながら造形師としての主張も入れるという作品であったように思います。私は、その写真を見たとたんに高山良策というアーティストの個性を強烈に感じました。(この写真は、【パオパオワンダーランド】の「パオパオ」さんが主催していらっしゃる、【ゴジラ掲示板】にある「資料掲示板」で見ることができます。同じページには、成田さんが独自の解釈で作られたガラモンの彫像もあって、こちらも一見の価値ありです)
 件の「宇宙船」記事では、「トゲ一つ一つにに抽象的な表現を加えてあるのだから、これはもう怪獣の域を超えている」という解説があります。

 私は1966年4月生まれですので、ペギラが東京に来襲したのと相前後してこの世に生を受けてはいたものの、まだ人語も解さず、二足歩行もかなわぬ身でありました。同級生でウルトラセブンを観た記憶がある者も何人か居ましたが、私にとってはウルトラマンの原体験は「帰ってきたウルトラマン」でありました。その後、ウルトラマンやウルトラセブンは地元の放送局で再放送される機会が何度かありましたが、「ウルトラQ」だけは、もともとがモノクロということもありまして、なかなか再放送されることはありませんでした。結局、全話通して観ることがかなったのは、NHK−BSでの放送が最初になります。
 そんな私ではありましたが、宇宙船の記事を読んで以来、ガラモンは私にとっても特別な怪獣となりました。

 ところが、残念ながら「ガラモン」は模型の世界ではちょっと不遇な存在であったように思います。何しろ、背中のトゲがあまりにも複雑で、どうしてもマルサン商店のプラモデルに見受けられるような省略表現にせざるを得なかったような気がします。(それはそれで、味があるというような意見はありましょうが…)  また、15年以上前にバンダイから発売された特撮コレクションの1/350ガラモンは、あまりにも省略表現が激しすぎて、ガラモンとは似ても似つかぬものと成りはてていました。 海洋堂から、原詠人氏原型によるガラモンのキットが発売されたこともありましたが、これは原型師さんのアレンジが個性的すぎて、評価の別れるものであったような気がします。

 ガラモン好きの私としては、かつて箸にも棒にもかからぬバンダイのガラモンを大改造して、それなりに見える作品に仕上げたこともありましたが、やはりカッコイイガラモンを求める気持ちは持っていました。

 このガラモンは、海洋堂から発売されたソフビキットで、正にガラモンのキットの定番と言って差し支えないものだと思います。スケールは1/200、原型師のお名前は、私が保管しているインストには記載されていません。ボックスアートは成田亨氏の手によるものです。
 製作中は、とにかくトゲを一つ一つ切り出して接着していく過程が単調で、ずいぶん苦労いたしました。しかし、完成品を見ると、その甲斐はあったのではないかと思います。
 塗装は、ちょっと今ひとつという感じでしょうか…顔と腹の色についてはいくつか写真があるようでして、私は顔を赤ら顔に、腹を白くしてみましたが、写真によっては顔が白かったり、腹が赤かったりしているようです。しかし、機会があれば再塗装したいところではありますね。


 高山良策さんは、宇宙船での連載が始まって間もない1982年7月28日に肝臓ガンでお亡くなりになります。享年65歳。我々ファンの勝手な想いかも知れませんが、再評価の機運が高まっていた折り、あまりにも早い死であったように思えてなりません。最近になって、アーティストとしての氏をフィーチャーした「高山良策の世界展」が練馬区立美術館で開催され、そのなかで怪獣モデルが展示されるなどして、テレビニュースにもなったことがありました。
 とはいえやはり、我々のような、オタクとかマニアとかいわれる勢力のなかから、高山さんや成田さんといった方々の功績を後生に伝えていくムーブメントを創っていかねばと思う今日この頃であります。

 なお、高山氏に関する資料としては、前述の「宇宙船」掲載の造型日誌の他に、竹書房から出た「ウルトラマンクロニクル」に当時のアトリエと造型中の怪獣スーツの写真が多数収録されています。これらの二つを併せ読めば、高山氏の功績のうちウルトラ怪獣造型に関する部分はほぼ網羅できるのではないかと思います。また、少年向けの物語として、江宮隆之、「カネゴンの日だまり」、河出書房新社(1996年)といった本も刊行されています。
 ウルトラマン創生期に関する人間模様などを記録した各氏の回想録やインタビューなどでも、端々に高山氏のお名前は出てきます。(もっとも、脚本家や演出家の方ほど頻繁ではありませんが…)

 残念なことに、2002年になってデザイナーの成田亨氏の訃報に接することになってしまいました。成田・高山コンビの名作のひとつであるガラモンを改めて眺めつつ、両氏のアートワークスに思いをはせる次第です。なお、成田氏の業績については、成田亨さんのアートワークスのページで紹介しています。

 『あらゆる自然の力を用いゐ尽くすことから一歩進んで  諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ−』
    宮澤賢治、生徒諸君によせる


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