鳥取北ロータリー地域共同隊(Rotary Community Corps , RCC)
国際ロータリー第2690地区鳥取北ロータリークラブ提唱
共同隊代表者:田中善蔵  隊員数:田中 正ほか16名
設立: 1993年6月3日
終結: 2005年2月1日
理由: 「石がま漁」が2005年1月28日付で鳥取県無形民俗文化財の指定を受けたので、設立当初の目標は達成されたため。


 設立趣意書

 ロータリー村落共同隊(Rotary Village Corps)は、1986年マット・カパラスRI会長が創始提唱され以来7年が経過されようとしている。ロータリーの奉仕活動である。

さて、このプログラムはロータリアンが何かのテーマによる奉仕活動を直接行なうのではなく、地域の発展向上のために積極的に活動する意欲を持った成人男女で構成されるグループすなわち“Corps”をロータリークラブがその結成を提唱し、助言指導等を行なうと共に援助するものである。

このたび、鳥取北ロータリークラブは、このRCC活動に取り組むことを決意した。

ロータリーの奉仕の理念を理解し、自分たちが生活し働いている地域社会の力になりたいと思っているロータリアン以外の成年男女に呼びかけて、RCCメンバーとして参加し実行を結成してもらい、地域社会の状況改善に役立つプログラムを立案し、実践して行きたいと考えている。

活動目標

 1 鳥取市の北西部に位置する湖山池では、古くから全国的に他所では見られない独特な漁法である“石がま漁”が行なわれている。それの保存(伝承)を目的とし、また石がま漁に関する調査研究を行なう。

2 石がま漁が行なわれる湖山池は美しい景観に恵まれ、鳥取市民は親しみを感じ、そして大切な財産と考えている。現状では湖山池の水質は汚濁が進み、その結果魚種の棲息に著しい悪影響を与え、漁業に大きな打撃を与えている。水質汚濁防止に向けて活動する。

石がま保存会

 活動目標を実行する一環として、石がま漁を保存伝承するため平成5年6月に鳥取北ロータリークラブ提唱の地域共同隊名称“石がま保存会”が結成された。

 昭和40年代から湖山池の漁獲量は減少している。また社会情勢の変化により石がま漁は衰退して行った。

 地域共同隊員すなわち石がま保存会会員は、三津地区住民で湖山池漁業協同組合の正または准組合員であり、経済的採算は度外視して、只ひたすら先祖から受け継いだ石がま漁を保存伝承すべく活動している。文化財としての価値を十分認めており、その保存伝承に意欲的に取り組んでいる。

 石がま保存会の設立当時、平成5年6月3日における隊員数は11人であったが、その後隊員数は増加し、平成15年3月においては18人である。 石がま保存会会員は、現在衰退している石がま漁を三津地区在住の小・中学生に体験させ、その保存伝承の意義を認識させるべく活動している。

 平成13年2月に子供会を交えて石がま揚げを実施したが、引き続いて平成15年2月15日三津地区主催、三津地区役員会後援の下に、三津地区子供会が石がま保存会の協力指導により石がま漁を行なった。小・中学生の父兄も加わって成功裡にこの行事は終了した。三津地区民一同大変有意義な行事であったと認めている。



石がま漁

 石がまは元禄時代に考案構築されたと伝えられているが、この考案者、構築場所等は不明である。湖山池の北岸に多く構築されているが、捕獲される魚は湖山池に従来から棲息する在来種の鮒である。これは在来の鮒の習性によるものである。また、北岸に大部分の石がまが存在するのは湖底の地質、地形、風向き等の気象条件に依存するものと考えられる

往古の漁民は、経験により“石がま”を構築する知識と技術を習得したものと推察される。石がまが湖山池のみに存在する理由は何か、次のことが考えられる。

@ 湖山池は西日本にある。鮒の種類に関係がある。

A 湖山池は汽水湖である。湖山池に棲息する生態系と関係ある。

B 裏日本である。冬季の気象条件の影響を受ける。

石がま揚げ作業は、冬季越冬のため石がまに入り込んだ魚、主として在来種の鮒を捕獲するものである。1月〜3月の寒い日に数人〜10人位の作業従事者が朝から6〜7時間休むことなく作業を続ける。石がま揚げは、石がま一つにつき1〜3回行なわれる。現在操業中の石がまの1番揚げの漁獲高は200〜350sである。

湖山池略図
 一級河川千代川水系支川湖山川の一部
 周囲14.73q 面積6,665u 広3.6q ぼう2.40q 汽水の海跡湖

石がま数
湖山池全
三津村分 他村分
明治10年
86個
55個
31個
明治36年
67個
49個
18個
昭和26年
56個
45個
11個


 現在操業中の石がまは、3個のみとなった。かつては「石がま一つ、水田一町歩」と云われその価値は高く評価され、石がま一個が水田一町歩に相当すると云われていた。しかしこのような石がまは数少ないものである。

 現在は、湖山池全体の漁獲高の減少、社会情勢の変化により石がま漁が衰微して行った。

  現在は、石がま漁は経済的には採算の合わないものである。しかし伝統漁法の保存のため操業している。石がま漁は歴史的に見ると順調に推移しているのではない。

宝暦年間には3年間使用停止の法度が出された。

明治6年には、地券証の交付を受けたが、明治10年地券証の返還を命ぜられている。
  明治中頃数年間胴函使用禁止され、石がま漁は漁獲高が激減したことがある。

明治34年漁業法公布により、石がま1個につき1件の漁業免許状が交付されている。個人所有が認められている。

昭和18年の鳥取大地震では、大なり小なり被害を受けたが、鳥取県は42,330円の助成金を交付して災害復旧した。

昭和24年新漁業法の公布により漁業制度改革が行なわれ、漁業免許は湖山池漁業協同組合に交付され、石がまは個人所有の漁具として扱われている。