No.31
先週の例会
2005年2月22日(火)

本日の例会
2005年3月1日(火)
第2179回
君が代・奉仕の理想
献立 100万ドルミール
委員会事項 誕生日御祝・結婚記念日御祝
卓 話 ローターアクト委員会
※例会終了後定例理事会3F高砂の間

次回の例会
2005年3月7日(月)
第2180回
18:30〜
ホテルニューオータニ鳥取鶴の間
ロータリーソング 奉仕の理想
献 立 パーティー料理
ロータリー誕生100周年
東部5RC合同例会

会長挨拶
 節分を過ぎまして、三寒四温を繰り返しながら次第に春を感じるような今日この頃でございます。
 さて今日は、北クラブ創立記念例会であります。我がクラブは、1961年2月23日に創立されましてから44周年を迎えることになります。そして同じ日の2月23日はロータリー創立100周年の日でもあります。誠におめでとうございます。
 今から100年前の1905年2月23日は、ポール・ハリス等4人のメンバーがシカゴで初めて会合を開いた日であります。そこで1929年の国際大会に於て2月23日をロータリー創立記念日に決定されました。1905年という年は、我が国では日露戦争が終った年であります。
 当時は自動車が登場しておりましたが、まだ実用化への入り口当りで、馬車が幅をきかせていた時代であります。また飛行機もライト兄弟により発明されましたが、2〜3分飛べるといった程度のものだったそうです。
 1492年コロンブスによりアメリカ大陸が発見された400年後の1893年にシカゴで万国博覧会が開催されております。この万博をポール・ハリスは見に来ており、将来この地に住むことを決めたようであります。因にこの万博の日本館では、米山梅吉さんが通訳をやっていたとのことですが、この会場で二人があったかどうかは定かではありません。
 何故彼がシカゴを選んだかといいますと、19世紀後半のアメリカ経済の高度成長を如実に物語る都市であったからです。
 1833年のシカゴの人口は約200人位であったのが、運河の開設に伴って交通の要衝となりまた鉄道の建設により農産物の集約地となり合わせて工業都市ともなってまいりました。
 南北戦争後の1861年には約30万人そして1900年頃には170万人からの大都市となり、ニューヨークに次ぐ大都市となっていきました。
 しかし急激な発展は政治の腐敗や社会環境の悪化をもたらし、その中でポール・ハリスのロータリー創立の心が芽生えはじめたのではないかと思われます。
 1905年2月23日の夜、弁護士のポール・ハリス、石炭商のシルベスター・シール、洋服商のハイラム・ショーレー、鉱山技師のガスターバス・ローアの4人がシカゴのローアの事務所で5年間、ポール・ハリスがあたためていたアイディア、即ちお互の事業或は職業上の結びつきを通して友好的な交友関係を築くことを提案し、それを認識しあったのでありました。
 そして、この交友関係を育む為には何らかのクラブを創るという結論に達し、4人の事務所で輪番に会合を開くということにしたのでありました。
 ロータリーの名称はこの輪番に因んでおります。従って、ロータリーの徴章は輪番に由来し車輪の形をしているわけであります。
 その頃、このロータリーには奉仕の概念はまだ芽生えておらず、「一業種一人」と「定例会合」を掲げて親睦を深め、やがては会員相互扶助による職業上の利益の向上が目指されるようになっていきました。
 その後、ロータリーが100年という歴史をもつような大発展をし、世界各国まで拡がって行った背景としましては、全ての会員を平等に扱い、会員に差別感を抱かせない点が指摘されます。ロータリアンが自由に意見を発表し議論する場所として、フォーラムがあります。
 このフォーラムでは敢えて結論を出さず、会員相互の立場を尊重することにより一層の友情を保つことにつながり、親睦をつくり出して行くとされております。
 ロータリー創立100年を迎えるにあたって、その歴史的な側面に触れてみました。
 今年度のR・I会長でありますエスラスさんは、100年の歩みからとして「ロータリーと祝おう」をテーマに掲げられております。
 今日はこの後入江宏一さん中村辰夫さんにお話を伺うことになっております。お二人には、よろしくお願い致します。
幹事報告
(到着文書)
1.ガバナー事務所
  新世代サミット実行委員会“新世代サミット”参加お願い 5/7(土)〜5/8(日)神戸ポートピアホテル
  テーマ 貢献(新世代の可能性をさぐる)〆切3/31
2.青少年育成鳥取県民会議
  “青年の国際協力についての企業懇談会”の開催案内と参加依頼
  青年海外協力隊事業に対し、理解を深める目的
  3/2(水)ホテルニューオータニ鳥取
3.週報 〜鳥取西、鳥取中央RC
(例会変更)
1.倉吉東RC 3/10(木)夜間例会ビジター受付定刻事務所
  3/31(木)休会 受付なし
(その他)
  3/28(月)18:30〜 IDM予定 女性会員と新入会員
 (3年くらい)を中心としたRCに関しての意見を聞く会参加依頼
委員会報告
◎出席率報告
 2月22日 会員68名中 欠席23名 66.18%
 2月8日 補正後 欠席3名 出席免除14名 94.44%    
◎出席表彰
 入江宏一さん(38年) 木村知己さん(34年)
 米村信哉さん(34年) 小谷恵三さん(28年)
 牧浦繁雄さん(28年) 前田清介さん(11年)
 谷口昌弘さん(9年) 笹野眞紀さん(5年)
 千金周一さん(5年) 山本潤一さん(5年)
◎次年度理事会報告(敬称略)
 副幹事:戸杉和敏 副会計:荻原忠康
 副SAA:入江敏夫・太田垣清・荻原忠康・米田由起枝
 環境保全:角谷弘海 青少年奉仕:植田哲朗
 ローターアクト:小原 誠 R財団推進:米村信哉
 米山奨学:田中 彰 出席:山田雅文 親睦:松田 剛
 プログラム:坂根 徹 雑誌会報:松下栄一郎
 広報R情報:笹野眞紀 会員選考職業分類:宗 康雄
 会員増強 インターネット:千金周一
 45周年記念事業:道上正● 会計監査:藤岡正明
 ソングリーダー:千金周一
ビジター
 鳥取RC22名 鳥取西RC8名
 鳥取中央RC8名
メークアップ
 2/21鳥取中央RC 松下栄一郎さん
スマイル報告(本日18,000円 累計751,100円)
牧浦繁雄さん @創立記念を祝して。A出席表彰
吉田 通さん 創立記念日おめでとうございます。
入江宏一さん @創立記念例会に卓話を命じられて光栄です。A出席表彰
米村信哉さん 前田清介さん
谷口昌弘さん 
出席表彰      
遅刻1件
卓 話
入江宏一さん
 北RCは昭和36年2月23日に創立され本日は44回目の創立記念日となります。
 42年当時は会員数58名、最年長者74才、最年少者33才、平均年令52才。
 現在は会員数68名、最年長82才、最年少39才、平均年令60才です。
 今年はロータリー創立100周年です。
 ポール・ハリスがシカゴに創立した年は、日本が日露戦争に勝利した年です。司馬遼太郎は小説「坂の上の雲」で、明治の日本を振り返り、「まことに振り返ってみれば絵に描いたような出世物語りである」「坂の上の雲を目指して登って来た日本は、その坂の上にたどりついたのであった。」と述べている。
 考えてみるに今年は明治137年です。
 ポール・ハリス、日本海海戦の丁字戦法の秋山真之は明治元年生まれ、夏目漱石はその前年生まれ。身近なところでは、私の恩師でもある、米子医専校長下田光三氏は明治18年生まれ、北RC創立時の特別代表でもある米原章三氏は16年、ちなみに東条英機、山本五十六元帥は17年生まれです。
 「明治は遠くなりにけり」といいますが、私たちの年令の者は、明治の人に育てられ、教育され、そして運命づけられたのです。
中村辰夫さん
 北RCには藤間忠顕さんがまとめられた「一口話」(ロータリー一口ばなし)というすばらしい宝物があります。
 それをひもときますと、ロータリーのルールについても、その標語についても変遷があることが分かります。
 ロータリーの綱領には「ロータリーは奉仕を目的とする」とあります。皆さんよく知っている公式標語は「超我の奉仕」(Service Above Self)でしょう。社会奉仕に関する標語には、「最も良く奉仕するものは最も良くむくいられる」(He Profits Most Who Serves Best)というのがありますが、これは自分に利益を得ようという欲望と他人に奉仕しようという義務感をうまく調和させようとするところから生まれた言葉でしょう。一時使われなくなっていましたが、また復活。しかし2004年版を見ますと、HeがTheyに変わっているようです。
 出席の細則にしても、だいぶん緩くなってきましたが、ついこれでいいんかなあ、とも思ったりします。
 戦前戦中に青春時代を過ごした私として今の若者たちに何を一番伝えなければならないかといえば、「何とかして戦争の災禍にだけは遭わせちゃいけん。戦争だけはさせちゃあいけん。」ということです。体験者として身近なところからでも話していきたいと考えています。
(担当 坂根 徹)


今週の句
 憂き年や世紀の津波日記果つ
 初夢や和顔愛語の遠き母
 山茶花の旅路の終り紅褥
大田やす緒