No.35
本日の例会
2006年3月28日(火)第2229回
唱 歌 さくら
献 立 洋食
委員会事項 出席表彰
卓 話 中村孝男さん・
    森本正行さん
※例会終了後次年度理事会2Fせんだいの間

次週の例会
2006年4月4日(火)第2230回
君が代・奉仕の理想
献 立 和食
委員会事項 誕生日御祝
卓 話 古川郁夫さん・
    福田洋一郎さん
※例会終了後定例理事会3F高砂の間

前回の例会
2006年3月14日(火)

会長挨拶
 田中英教さん、会長エレクト研修セミナー(PETS)ごくろうさまでした。大変だったと思います。
 私ごとですが、3月9日節目検診を受けました。
 65才の時にはさほど心配しなかったのですが、70才の検診では、友達がガンだ、脳梗塞だと続いていたので、とうとう私の番が来たのかなあと、どきどきしました。
 既往症の、十二指腸、胃潰瘍、肝炎はOK、一番気になっていた、前立腺もOKでした。
 血圧、血糖値、尿酸値、コレステロールは限界値、栄養過多の運動不足と立派な生活習慣病であると判定されました。
 ゴルフ、テニスは年に2・3回、孫達とのジャスコ通い、酒は2合以上飲んで、7時半にはバタンキュウと就寝とう云う毎日、ウエストは96cmと反省してしまいました。
 これからはウエストを15cm少なくすることを誓って今日の挨拶とさせていただきます。

幹事報告
1.鳥取砂丘一斉清掃参加協力依頼 4/16(日)
 9:30県営駐車場集合(IMに参加されない方はできるだけ砂丘清掃にご参加下さい)
2.第1グループ次年度会長会議事録(2/25実施)
3.ロータリー情報集発行案内 1冊1,400円
 (申込みはクラブ事務局まで)
4.浜坂RCより 創立40周年記念式典案内
 4/23(日)10:30〜新温泉町役場多目的ホール
5.会報、週報 高松RC 倉吉中央RC
6.IM参加者現在20名(29.41%)ですので、もう少し参加をお願いします。
7.合銀鳥取駅南支店駐車場が、3/13より有料となりました。20分間は無料ですがその後30分毎に200円追加されます。事務局訪問の際はご注意下さい。

(例会変更)
・境港RC 3/21休会 受付なし

(3/7理事会報告)
1.新会員候補者2名の推薦があり承認されましたので本日公示致します。
2.会員退会承認
  中村辰夫さん、大羽孝義さん、西尾昌宜さん
3.IDMを5月上旬実施

委員会報告
◎出席率報告
3月14日 会員68名中 欠席20名 70.59%
2月28日 補正後欠席7名 出席免除14名 87.04%

◎結婚記念日御祝
野田英明さん 田中英教さん 奥山育英さん 田辺賢二さん 古川郁夫さん 入江敏夫さん 小林弘尚さん 坂田 侃さん

◎創業記念日御祝
坂根 徹さん 朝倉通憲さん

メークアップ
3/11〜12PETS 野田英明さん
         田中英教さん
3/13鳥取中央RC 小林弘尚さん

スマイル報告(本日29,000円 累計778,000円)
吉田 通さん 田中英教さん PETSご苦労様でした。
田中英教さん 1一泊二日で次年度会長研修セミナーを受けて参りました。何かとお世話になります。2結婚記念日
霜村哲男さん 季節はずれの大雪のようですが、昨年も3月13日に30cmばかり降っています。更に3月25日に30cm降りました。こけないように気をつけましょう。
宮川敬学さん 御無沙汰しております。
結婚記念日
坂田 侃さん・野田英明さん
入江敏夫さん・田辺賢二さん
古川郁夫さん・小林弘尚さん
創業記念日
坂根 徹さん
朝倉通憲さん
誕生日
宗 康雄さん
松田恭子さん

卓話
「鳥取に想う」
日本銀行鳥取事務所所長  吉 武  哲氏
 鳥取に2年半在住して、鳥取の気持ち、不思議感を感じているのでこの点について述べてみたい。鳥取の人は穏やかでフレンドリーな雰囲気に満ちている。歴史を振り返ってみると、鳥取は長く比較的安定した社会が維持されてきたのではないかと思い、鳥取が穏やかな町をつくっている理由を考えて見た。
●鳥取の3つの不思議について
 一つ目は、鳥取の藩札、これは日本の藩の中でも優れものである。藩札をつくることで発行益が出るので、こぞって各藩が発行(主に銀の兌換札)、財政事情の苦しい藩はこれを乱発したが、各藩の大量乱発がインフレを招き、銀札の価値の下落を招いたが、鳥取の藩札は安定していた。明治維新の初め頃まで発行を政府も認めていた。また流通性も高く、大阪、伊勢、金毘羅でも使えた。これは一体どうしてなのか、このような管理技術が優れていたのか?これが一つ目の疑問
 二つ目は、秀吉の鳥取城攻め、鳥取城は秀吉の三大悲劇のひとつ、三木ホシ殺し、鳥取の大虐殺、備中高松の水攻め何故鳥取が大きな悲劇にあったのか?これが二つ目の疑問
 三つ目は、明治維新、維新は薩長土肥の四藩が言われるが、鳥取藩も因州として第5番目の因となる可能性があったということ。池田藩は親幕府よりであったので、倒幕派のクーデター等起こっていたのに、何故鳥取が浮かび上がらなかったのか?これが3つ目の疑問
●鳥取藩札について
 鳥取藩札は3回大きな改札がされている。1676年の延宝銀札(鶴屋札)次が1731年享保銀札、一番優れていたのが、1754年の宝暦銀札で140年の歴史がある。この札には、作り方にポイントがあった。札をつくる札場は幕府がつくり、運営を札座札元(通貨のコントロールに力をもつ)という民間の商人が行っていたが、この運営方法が上手かった。宝暦銀札にも発行の危機があったが、幕府は町方の有力者11人に御用方として助成を仰いだ。官民一体での対応、しかも民の力とバランスしていた。民の管理能力が発揮されていた。
 日本銀行も鳥取の藩札を紹介しているが、このいなば鳥取藩札は、額面の識別を容易にする工夫がされている。額面を記号化し、数え歌をつくり皆がこの数え歌で額面を間違えないように使っていた。印刷も多色刷りで他に例を見ない。これは、皆に解り易くし、使い易くするという配慮が官民一体となってされていたこと、このことが札に普遍性を持たせることになり、どこにいっても使い易いスタンダードを鳥取が作っていたことを示している。紙づくりとともに印刷技術も発達していた。これは鹿野藩主亀井氏の影響が大きい。いずれにせよ、農民、町民がフレンドリーであったことが窺える。
●秀吉の鳥取城攻めについて
 完全な包囲網と飢えが起こり易いように前の年から米を作らせないようにしたり、買い占めたりした、また亀井氏の存在も包囲網を一層強固にした。秀吉が何ゆえここまでの包囲網をひいたのか。城は村にもあり、農民自身が生命維持装置として城を持ち、藩主と一体となって作り上げていた。鳥取は民間一体の非常事態への体制が整っており、農民は何かあれば城に逃げ込むという体制が整備されていた。このことに秀吉がいらつき感をもち完全な包囲網と大虐殺につながったものと思われる。
●鳥取藩が薩長土肥の次になれなかった訳
 鳥取は安政年間の商売往来を見ると、日雇いが多く、娯楽が少なく、質素でまじめな町であったことが窺える。これは武家の精神的影響が強かった。武士の存在が有形無形の影響を与えていた。亀井氏は実業家であり、造船技術や和紙の技術を導入したりしたが、鳥取はこうした時代を突き抜けた人もいたが、こうした人たちが町を盛り上げるというのではなく、一般の人は質素でまじめな生活をしていた。これが鳥取の姿で、自己性とも言えるのではないか。町づくりにおいて必要な大きく評価すべき潜在するコミュニティーのよさやバリエーションのよさが鳥取にはあったと思われる。
(担当 戸杉和敏)