No.14
本日の例会
2009年10月13日(火)第2394回
ロータリーソング 我等の生業
献立 100万ドルミール
委員会事項 結婚記念日御祝
卓話 「私の趣味と仕事」
   村上保雄さん

次週の例会
2009年10月20日(火)第2395回
ロータリーソング 鳥取北RCの歌
献立 洋食
委員会事項 創業記念日御祝
卓話 米山奨学生
   巴図(バト)さん

先 週 の 例 会
2009年10月6日(火)

会長挨拶
 本日のお客様は、仁風閣所長 加藤貞美さんと米山奨学生 巴図君です。どうぞ北ロータリークラブの例会をお楽しみください。
 本日は先月の産業会館に続いて2回目の移動例会で、ここ仁風閣と宝扇庵のお世話になりましての開催です。静かな環境、歴史的な由緒ある建物の中での例会で、心の洗われる思いが致します。
 仁風閣は明治40年、大正天皇が皇太子の時、山陰地方に行啓された際に、その宿泊所として鳥取32万石の池田家が当時の金で4万円をかけて建築された西洋式木造建築です。
 明治40年頃の鳥取市の予算が5万円程度であった事を考えると、池田家の威信をかけた建築であったことが伺われます。
 さて、一昨日の4日、本クラブがお世話しております米山奨学生の巴図君が会長を務める中国人留学生会が主催して、第1回目の「日本人の中国語弁論大会」が開催され、大成功裏に終わりました。21世紀は東北アジアの時代ですから、日・中・韓が通訳なしに交流することは重要なことです。
 巴図君の活躍を大変嬉しく思い、そしてお世話している我がクラブの誇りと感じた次第です。

幹事報告
A)到着文書
 1)GSE委員会(鳥取西RC)
  ・GSE受け入れについてのお知らせとお願い
 2)倉吉東ロータリークラブ
  ・創立40周年記念祝賀会並びにスケジュール変更について
B)例会変更
  ・倉吉中央RC
   平成21年10/7(水)夜間例会
   ビジター受付 定刻事務所
  ・境港RC
   平成21年10/13(火)職場訪問例会
   ビジター受付なし
C)連絡事項
  ・会費の請求書をお配り致します。
  ・地区大会のスケジュールをお配り致します。
   出発は午前7時、朝食(お弁当)を準備致します。

●義援金の報告計 ¥30,437  
 兵庫県西・北部豪雨災害   ¥10,000  
 台湾台風災害        ¥ 5,000  
 美作地方竜巻被害、豪雨災害 ¥10,000  
 拉致被害者家族       ¥ 5,000  
 その他           ¥ 437  

委員会報告
◎出席率報告
10月6日 会員51名中 欠席7名 86.27%  
9月15日 補正後   欠席3名 93.62%  

◎誕生日御祝
松下栄一郎さん 
入江敏夫さん 
原田克巳さん 
竹田達夫さん

ビジター
鳥取RC  13名 
鳥取西RC 3名

メークアップ
10/2 鳥取西RC 田中英教さん

スマイル報告(本日 14,000円 累計 256,000円)
田邉賢二さん 巴図君、先日の「日本人の中国語弁論大会」は大成功でした。大変嬉しく思いました。
朝倉通憲さん 仁風閣におじゃまして、加藤所長様には、卓話いただきありがとうございます。
原田克巳さん 松下栄一郎さん 誕生日
竹田達夫さん 入江敏夫さん
村田誠治さん 創業記念日

卓話
「宝隆院庭園・宝扇庵の由来」
仁風閣所長 加藤貞美 氏
 本日は、仁風閣にようこそいらっしゃいました。仁風閣は102年前、時の皇太子殿下(のちの大正天皇)の山陰地方行啓にあたり、その宿舎として鳥取池田家十四代当主の池田仲博(徳川慶喜の5男)が造営されたものです。当時宮内省匠頭であった片山東熊工学博士が設計し、鳥取出身の橋本恵贈工学士が監督したフレンチ・ルネッサンス様式を基調とした西洋建築で、昭和48年6月に国の重要文化財の指定をうけたものです。後の大正天皇は、完成と同時に明治40年5月18日から22日まで滞在されました。現在に至るまでに一時荒廃した時期もありましたが、窓ガラス、エジソン式の炭素電球によるシャンデリアなどは当時のままであり、また室内装飾等も当時の雰囲気がよく保存されています。
 この建物は、建物自体が建築的な意味をもつとともに、鳥取での文明開化の上で3つの大きな意味を持っています。すなわち、仁風閣の完成と天皇行啓に合わせて、
1.鳥取で初めての水力発電の開始と電気による照明の開始 
2.鉄道の開通(当時は古海に仮駅舎ができた)
3.電話の開通がなされました。 
 本日の皆様の例会に向けて、お庭の整備を行ったのですが残念ながら猪が走り回って一部を荒らしてしまいましたが、本日は皆様良くご存知の仁風閣だけでなく、鳥取藩十二代藩主(池田慶徳)が若くして未亡人となった十一代藩主(池田慶栄)夫人宝隆院を慰める為に作った池泉回遊式の宝隆院庭園とその一部である宝扇庵も美しく保存整備されておりますので、若くして歴史の荒波にもまれた悲しい宝隆院の生涯に思いをはせながらご鑑賞ください。

●宝隆院庭園 宝扇庵の歴史
1863年(文久3年)
 第12代鳥取藩主池田慶徳が、若くして未亡人となった先代慶栄夫人宝隆院を慰めるため扇御殿を建てる
付属の庭園 離れの間「お化粧の間」として誕生する
1907年(明治40年)
 仁風閣建設にあわせ庭園整備される
1949年(昭和24年)
 仁風閣が県立科学館として使用される
1973年(昭和48年)
 仁風閣が国の重要文化財となる
1976年(昭和51年)
 修復作業終了 一般公開(11月3日)宝扇庵として市条例に制定される
1989年(平成元年)
 宝隆院庭園 鳥取市文化財(名勝)に指定される
●宝隆院の生涯
1834年(天保5年)
 東館池田仲律(なかのり)の娘として江戸に生まれる 実名は整子(さだこ)
 兄は池田家10代藩主慶行(よしゆき 17歳で逝去)
 弟は東館9代仲立(なかたつ 24歳で自刃)
1848年(嘉永元年)
 加賀前田家から慶栄(よしたか)をむかえ池田家を継ぐと、整子は慶行の養女となり慶栄と結婚する
1850年(嘉永3年)
 整子17歳のとき夫慶栄逝去する
 受戒して宝隆院となのり池田家にのこる
1863年(文久3年)
 宝隆院は鳥取藩江戸屋敷に暮らしていたが、参勤交代制度の緩和により、鳥取に帰国する
1873年(明治6年)
 掛出町の別邸(旧御銀札場)にうつる
1874年(明治7年)
 鳥取を出発し、東京浜町邸にうつる
1879年(明治12年)
 5月21日 病により死去する 46歳
(担当 田中 彰)