No.38
本日の例会
2010年4月27日(火)第2418回
唱歌 こいのぼり
献立 洋食
委員会事項 出席表彰
地区協議会の報告
※5/4 休会

次回の例会
2010年5月11日(火)第2419回
君が代・奉仕の理想
献立 米山ミール
委員会事項 誕生日御祝
会員卓話 古川郁夫さん・田中紀章さん
※例会後 定例理事会1階「梨花の間」

先 週 の 例 会
2010年4月20日(火)

会長挨拶
 一昨日米子市で開催されました2690地区第1・2グループのIMには、日曜日にもかかわらず出席していただきました方々、また砂丘一斉清掃に出席してくださいました方々、大変御苦労さまでした。このIMで対外的な公式行事が終わり、ということで肩の荷がほとんど下りた感じです。
 ところで、鳥取県の重要農産物「二十世紀」を始めとするナシの開花、人工授粉の大事な時期の4月10日〜20日に、低温、雨ばかりでなく雪まで降ったりの困った状況です。毎日が心配で胃潰瘍になりそうな10日間です。
 ある本を読みましたところ昨年頃から太陽黒点が一個もないということで太陽エネルギーの放射量が少なくなっているのではないか、ということに加えてアイスランドの火山が200年振りに大爆発したことで火山灰が北半球を覆うような事態になりますと、この夏は昨年以上に低温かもしれません。しかし、平成5年はきびしい冷夏長雨でしたが、翌年は西日本は高温で干ばつ被害が出る程でした。こちらの方を取れば楽観すればいいのかもしれませんが、備えあれば憂いなしで、夏の低温対策を立てて備えを怠らないことが大切なことです。

幹事報告
A)到着文書
 1)ガバナー・エレクト事務所
  ・「地区協議会」のお礼
 2)ロータリー米山記念奨学会
  ・ハイライトよねやま122号
 3)鳥取県企画部地域づくり支援局
  ・「鳥取力」創造運動支援補助金交付要領の制定及び活用について
 4)鳥取中央ロータリークラブ 週報
 5)R I 日本事務局
   5月のRレート 1ドル=92円
B)例会変更
  ・鳥取西ロータリークラブ
   2010/5/ 7(金)休会 ビジター受付なし
   2010/6/11(金)→12日 創立30周年記念式典ビジター受付 定刻定例会場
   2010/6/25(金)休会 ビジター受付なし
  ・米子東ロータリークラブ
   2010/5/ 5(水)休会 ビジター受付なし
   2010/6/ 9(水)休会 ビジター受付なし
   2010/6/30(水)夜間例会 ビジター受付あり
C)連絡事項
  ・新会員公示終了
  ・クラブ活動運営計画書 5/18(火)原稿〆切
  ・5/10(月)東部5RC新旧会長幹事会
   シティーホテル 18:00〜

委員会事項
◎出席率報告
4月20日 会員53名中欠席4名 92.45%  
4月 6日 補正後欠席5名 90.57%  
◎創業記念日御祝
前田清介さん 小林弘尚さん 笹野眞紀さん
山本朝子さん 入江容子さん 秦野諭示さん
奥山育英さん 田中紀章さん

ビジター
鳥取中央RC 駒井重忠さん

メークアップ
4/18 鳥取砂丘一斉清掃
原田克巳さん 田中和夫さん 入江敏夫さん
霜村哲男さん 森本美明さん 塚田 隆さん
4/18 合同IM
朝倉通憲さん 入江容子さん 植田哲朗さん
坂根 徹さん 田邉賢二さん 秦野諭示さん
古川郁夫さん 本家勇子さん 米村信哉さん
松長政幸さん

スマイル報告(本日 23,000円 累計 793,000円)
田邉賢二さん 日曜日のIMにご出席の方々ならびに砂丘一斉清掃にご参加の皆様、大変ご苦労様でした。お礼申し上げます。
福石幸市さん 雨になりました。
植田哲朗さん 先日のIMへ出席の皆さんご苦労様でした。楽しいツアーでした。
朝倉通憲さん @玄忠寺の住職の田中芳兼様には、今日の卓話をいただきありがとうございました。A日曜日の合同IMを楽しんできました。講話もおもしろかったし、買物ツアーも花回廊の見学もし、一石三鳥の日でした。
田中英教さん 芳兼師の卓話楽しみです。
原田克巳さん 日曜日の砂丘清掃に参加された皆さん、本当にご苦労様でした。
岡森 裕さん 結婚記念日
入江容子さん 前田清介さん
小林弘尚さん 秦野諭示さん 創業記念日
田中紀章さん
早退 2件

「卓話」
「鳥取池田家と荒木又右衛門」
 玄忠寺住職:田中芳兼氏
 ただいまご紹介にあずかりました玄忠寺の和尚でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 会場に参りますと知己を得ております皆様の何人かとお会いすることができ、いささか安心してお話しできるのではないかと思っております。県立鳥銀会館にあります緞帳に鶴の画を描いておりますのが、私の叔父にあたります濱田台児であり、日展の第14代理事長をしておりました。一方和尚の私はうだつが上がらずの状態であります。
 昭和35年青谷から玄忠寺に参りました。しかし当時は国鉄のみが交通手段であり、鳥取駅でタクシーに乗って「玄忠寺まで」といっても運転手は「玄忠寺はどこですか?」と言われ困ってしまいましたが、荒木又右衛門が祭ってある寺ですと言えば、わかりましたと言って連れて行ってくれました。 玄忠寺は創設500年にもかかわらず、350年の荒木又右衛門の方が名前が知れているのに驚き、又右衛門に関する資料を集めて参りました。そのおかげで1000余点の資料や遺品を収集することができました。荒木又右衛門は「古今仇討鑑」によると、最上段の伊賀上野後見仇討の上に渡辺数馬のため荒木助太刀と書いてあります。さらに、赤穂義士の仇討や富士の裾野の仇討についてはいちばん下方に書かれています。したがって、伊賀上野の仇討は大変有名であると思考しているところです。(資料1の4頁)、つぎに、資料1の3頁の「剣法名誉侠客倚人鑑」には上座右側の大関欄に荒木又右衛門が掲載されています。左側は宮本武蔵であり、荒木又右衛門の下座になります。したがって、荒木又右衛門が宮本武蔵より格上ということになります。これらの資料は江戸時代のものであり、荒木又右衛門を知る上で非常に参考になります。
 さて、江戸時代の瓦版にみる荒木又右衛門について説明します。(資料参照)
 荒木又右衛門は1599(慶長4)年伊賀国に生まれ、1638(寛永15)年8月13日に鳥取に入ったが、その後わずか後の8月28日に鳥取で没している。「伊賀越仇討」は1634(寛永11)年11月7日であり、渡辺数馬の後見人として河合又五郎を伊賀上野で打ち取っている。この事件の原因は外様大名池田家と旗本安藤家の確執にあった。池田家中興の祖、池田恒興(のち信輝)は羽柴秀吉の先輩格として織田信長に仕えた。信長の非業の死後、1584(天正12)年秀吉と徳川家康が天下をかけた争いが小牧・長久手で戦われた。この戦いで信輝とその長男之助(これすけ)が家康の旗本安藤直次に刺殺されたが、次男輝政は難を逃れた。輝政は関ヶ原の戦い(1600年)で家康に加担し、その恩賞として播磨52万石を賜った。
 1613(慶長13)年輝政が没し、その孫の池田忠雄(ただかつ)が岡山藩主となった。1616年、忠雄が江戸入りした時、高崎城主安藤重信の家臣、河合半左衛門が同僚を殺めて追われ、忠雄一行に助けを求めた。忠雄はその追手が祖父信輝を殺めた安藤直次の息子と知り、安藤の要求を拒否し半左衛門を岡山に引き取り藩士とした。1630(寛永7)年忠雄の嫡男光仲の誕生を祝して宴が開かれたが、その最中、半左衛門の倅、又五郎が藩主の小姓を殺害した。又五郎は池田家と犬猿の安藤家に匿われた。又五郎の引き渡しを巡る確執が、天下を二分しかねない険悪な事態となった。1632(寛永9)年4月3日、『わが備前一国を召し上げらるるとも、此事上裁を請うべし』と遺言して忠雄が急逝、6月18日岡山・鳥取両藩池田家の国替えが断行され、その無念さが仇討へと繋がった。
 主君の「上意討ち」という大義名分から、亡き小姓の義兄である荒木又右衛門(当時、大和郡山藩剣術師範)の助太刀で、旗本庇護の又五郎を小姓の兄、渡辺数馬に討ち取らせることであった。荒木らは、1633(寛永10)年3月以降、又五郎の所在を探索、江戸に向かう又五郎一行を奈良で発見、1634(寛永11)年11月7日、河合方11人の多勢を荒木・渡辺方4人の無勢で制し、伊賀上野鍵屋の辻で、又五郎を討ち取った。念願の上意討ちを果たし、外様大名の面目を施したのみならず、天下騒乱を未然に防いだ快挙はまさに剣豪の最高位にふさわしいことであった。
(担当 野田英明)