No.43

本日の例会
2012年6月5日(火)第2514回
◆君が代・奉仕の理想
◆献立 100万ドルミール
◆委員会事項  誕生日御祝
◆委員長・担当リーダー  退任挨拶
※例会後 定例理事会  1F「梨花の間」
次週の例会
2012年6月12日(火)第2515回
◆ロータリーソング  我等の生業
◆献立 和食
◆委員会事項  結婚記念日等御祝
◆物故会員法要例会  〜天徳寺〜

先 週 の 例 会
2012年5月29日(火)

会長挨拶  
パソコンやプリンターの普及で、素人の方でも簡単に印刷物が制作できるようになりました。  プロとして存続するための敷居が、時代とともに高くなってきています。同様のことが、奉仕団体にも起こっているのではないでしょうか。かつては、個人が社会奉仕をすることや、世界的な福祉改善に取り組む事は難しい時代でありました。しかし、個人でも国際的な活動を起こす事が可能な時代になりました。価値観の多様化で、大きな組織が単純なプログラムを進めるより、個人がきめ細かな活動を行った方がよいケースも増えます。ロータリーは、皆で出席して奉仕を学ぶ、皆でスマイルする、皆で財団に奉仕を任せる、こういう面もあります。しかし、個人が独自に地域奉仕や国際活動をしながら、例会では互いの交流に集う。 皆で何かのモチベーションを共有するのではなく、モチベーションは個人の問題として、例会では、互いの個を尊重し、ひたすらほっとする…このような面も、ロータリーとして可能だと思います。

幹事報告
A)到着文書  
1)財団法人 尚徳会   
・尚徳錬武館大会の開催について    
7/8(日)午前9時から
B)例会変更  
・米子RC   
2012/6/1(金)休会(定款第6条)   
2012/6/29(金)夜間例会            
ビジター受付 定刻定例会場
C)報告事項  
1)元会長の福本登さんが5/24、逝去されました。 謹んでご報告いたします。

委員会報告
◎出席率報告  
5/29 会員54名中 欠席12名 77.77%  
5/15 補正後   欠席8名 85.19%
◎出席表彰  西浦伸忠さん(6年) 坂野経三郎さん(2年) 
◎次年度 千金幹事より  ・クラブ運営計画書の原稿校正をお願いします。  
・クラブの情報をメール配信しますので、パソコンと携帯のアドレスをお願いします。  
・終了後、パスト会長会を3階にて行います。
◎ゴルフ同好会 先日の5RC合同コンペ、優勝は鳥取RC、当クラブは2位でした。
メークアップ  
5/24 鳥取RC 田邉賢二さん  
5/26 第1G次年度会長幹事会  植田哲朗さん 千金周一さん 

スマイル報告 (当日11,000円 累計829,500円)
松下栄一郎さん も〜いくつ寝ると、新年度。
植田哲朗さん 先日、次年度1グループ会長幹事会が倉吉市の「赤瓦ダイニング佐々木」さんで開催されました。内容はともかく、会場の古民家を改装したお店がとても良く、一度ご利用されてはと思います。
坂根 徹さん あと1カ月となりました・・・。
田中英教さん 白内手術をしました。眼内レンズが20〜30年は使えるかな?
西川淳次さん 松下会長年度もあと1カ月。盛り上げて!行きたいです。
入江容子さん なんとか元気に帰りました。宮崎さん、宜しくお願いします。
高吉慎一さん 出席表彰(4月)
早退 1件

卓話  
「飛び道具専門店」    千金周一さん  
今回の卓話はお仕事の話をさせていただこうと思います。先ず皆さんは宝石という言葉を聞いて何をイメージされますか?  
「値段の分からない代物」「金持ちの道楽」「男には縁のない世界」など、ざっとそんな感じではないかと思います。私自身もこの宝石屋という仕事自体、どこか胡散臭いと思っていた時期もありました。そもそも宝石は生活必需品とは違いますし、品質基準とか適正価格といったものも一般のユーザーに分かりにくいかもしれません。  
父が時計の修理から始めた千金商店は今では鳥取大丸の宝石屋さんというかたちに変わりながら60年以上この鳥取の地で仕事をさせていただいています。親から受け継いだ仕事を続けていく事はあくまで自分には都合のよい事なのですが、問題は世の中が宝石屋を必要としているかどうかを考えないと未来は無いと思ったからです。  
歴史を紐解けば紀元前より宝石をめぐり多くの人が血を流し、宝石は冨と権力の象徴とされてきました。先程宝石の持つイメージの話の中で「男には縁のない世界」という話をしましたが本来宝石というのは男にとって必要なものだったのだと思います。では何故男達は血を流しながら宝石を奪いあったのでしょうか?全ては「男と女」の問題に由来します。  
私の好きな作家に村上龍という人がいます。最近では「カンブリア宮殿」というトーク番組の中で日本の経済界のトップの人達と日本の未来について語り合っています。  
男は頭や体を駆使して働き家族を養います。しかしそれは男が偉いからではなく、男にはそれしか出来ないからです。  
子供を産むことの出来る女性をめぐり男は戦争もおこします。もし全ての人が平等であれば、常に選ぶ権利を持つのは女性の方です。極論を言えば男はより理想的な女性に自分を選んでもらう為に冨と権力を手にいれたいと願うのです。  
ある程度の冨と権力を手に入れ、幸せな結婚もして、本意であろうが不本意であろうが消耗品である男は女性を喜ばさずに幸せにはなれないのです。ようやく私の出番がやってきました。  
「うちの女房は宝石なんかに興味は無いから」という人もいるでしょう。しかし相手が望むままにその時その時に必要な物を買い与え続けてもそれはエンドレスな話です。ロマンもありません。  
宝石と呼ばれる石達は何億年という時間をかけてこの世の中に現れました。気の遠くなるような時間をかけて地球が生み出した宝石の持つ不思議な美しさと妖しい魅力。誰かが誰かの為に作為的に作ったものでは無い正に偶然の産物。永遠の命のようなものさえ感じる…それが宝石です。  
女性の心を打ち抜く本物の宝石を選ばないといけなくなった時「飛び道具専門店」千金にご相談下さい。たとえ大富豪でなくても皆さんのご予算や思いに応じた立派な武器をご用意致します。そして必ずや相手の心を打ち抜いてみせます。

「安積原野(福島県)の開拓その後」     田中紀章さん  
明治14年(1881)、鳥取藩士が入植したところは広谷原というところですが、明治16年には宇倍神社の分霊を祭ったとあります。その安積原野の開拓ですが、1872年、福島県官 中条政恒の建言によって開始されました。初めは地元の二本松藩士による大槻原の開墾でしたが、1882年(明治15年)、猪苗代湖と安積原野を結ぶ安積疎水がほぼ完成すると、福島県内の各藩や高知・鳥取などの各藩士族が多数入植しました。旧鳥取藩士族の郡山への移住には、熟達した農民と大工数戸を加えた69戸で「鳥取開墾社」が結成されました。  
この時代の東北は、冷害と飢饉です。  
さて、東北の冷害はオホーツク海から吹き出す冷たい風が太平洋岸から内陸へと吹き込むために起ります。土地の人はこの風をヤマセとよびます。ヤマセの冷害と関係しているのがイモチ病です。東北地方の凶作ですが、明治になっても、断続的に発生しており、特に、明治35年(1902年)から昭和8年(1935年)にかけて凶作が多かったようです。  
また、1896年(明治29年)、明治三陸地震津波【M8.5】、1933年(昭和8年)、昭和三陸地震【M8.1】が起り、大惨事となりました。そしてこの二つの大震災の間に、1923年(大正12年)関東大震災、1929年世界大恐慌、1930年昭和東北大飢饉が続けて起り、疲弊した農村では娘を売る身売りが盛んに行われました。その世相を映したと思われる当時の大ヒット演歌が「籠の鳥」という唄です。作曲者は天才的演歌師と呼ばれた鳥取春陽。出身は岩手県宮古市でした。こんな東北、こんな時代ですから、入植者たちのその後が気になります。  
入植から40年後、作家 宮本百合子は今の郡山市、当時の安積郡桑野村という開拓村の農民たちの悲惨な生活を描くことになります。実は百合子は「安積開拓の父」中条政恒の孫で、祖母の住む桑野村を夏休みのたびに訪れ、貧しい開拓の村の小作人の生活に触れて、強いショックを受けました。この小説は1916年(大正5年)、『貧しき人々の群れ』と題して中央公論に発表されました。入植後は開墾奨励金や持参した金でかろうじて生活するわけですが、10年を過ぎても、土地が痩せていて、技術も未熟でしたので、負債はどんどん膨らみます。  
こうなると、もはや土地を売るしかありません。開墾が完了し、土地の名義が各個人に移ると、たちまち銀行や地元の商人や地主から借りた借金返済のために土地を失うものが続出しました。  
こうして、結果的にこの安積疏水によって生み出された開墾地も大半が大地主の元へ集積していき、広谷原の鳥取開墾社は、橋本家以下4〜5名の地主勢力によって、第1次大戦の直後までに260町歩のうち200町歩が買収されています。そして全入植者の80%もの人びとがこの開拓地から転出していたのです。その後の安積そして郡山市を見てみると、郡山市は農業開発に加え、猪苗代湖と安積疏水の落差を利用した電源開発によって紡績・繊維産業が発展し、今では、東北地方の玄関、中核都市へと変貌をとげています。「貧しき人々の群れ」の舞台となった安積郡桑野村は今では郡山市の中心市街地となりました。幸い、鳥取藩士の住宅が残っております。              
(担当 村上保雄)