No.24

本日の例会
2012年12月18日(火) 第2541回
◆ロータリーソング  鳥取北RCの歌
◆献立 パーティー料理
◆委員会事項 出席表彰
◆年忘れ家族会  
18:00から例会  18:30から年忘れ家族会
※12/25、1/1 休会

次回の例会
2013年1月8日(火) 「四つのテスト」 第2542回
◆君が代・奉仕の理想
◆献立 パーティー料理
◆新年祝賀会
※定例理事会 17:15?  1F「梨花の間」

先 週 の 例 会
2012年12月11日(火)

会長挨拶  
岡野貞一が亡くなったのは、太平洋戦争が始まって高揚感の高い昭和16年12月29日でした。  
昭和62年(1987年)8月25日(火)の9時30分から12時まで私は、岡野貞一のご長男の岡野匡雄さんのお宅に行きました。唱歌の作曲をしていたなんて感じられないような日常のお父さんであったとのお話であったと思います。  
同日13時から15時まで、横浜駅の商店街の喫茶店で鳥取大学教育学部を退官された岩上行忍さんにお会いしました。岩上さんは、岡野貞一から直接東京音楽学校で指導を受けられた方で、人となりを訥訥と話されていました。  
翌日には岡野貞一が引き続けたオルガンが保存されている本郷中央教会に行き拝見しました。当時でも宝のように取り扱っているとのことです。  
丁度この頃、私は岡野貞一の生誕地を探していました。当時は文献によると2説あります。一つは邑美郡吉方町129番屋敷、もう一つは邑美郡古市村です。吉方説は戸籍によると明治21年11月19日に吉方町から西町157番屋敷に移転となっていますので、前住所の吉方だということです。古市説は、私も東京芸大に行き確認をしたのですが、東京音楽学校の履歴書のコピーにそのように記入されております。  
どこが生誕地なのかという単純な疑問が調査をし始めた理由なのですが、特定をすることは今でも出来ていないと思います。ただ事実としてあるのは先程の書類と安政6年に作成された住居地図に祖父の岡野平太夫の住居が記入されており、現在の行徳にお住まいだったこと。岡野貞一のお父さんの平也の過去帳が観音院にあり、その墓石が境内にあることを確認しております。  
岡野貞一は明治18年12月6日に後見人に母の芳江がなり相続をしていますので、7歳で大黒柱を亡くすことになり、決して裕福とは言えない状態になったようです。明治25年9月25日に鳥取教会で洗礼を受け明治26年4月頃に岡山に移り後東京での生活が始まります。  
生誕地は法律的に公開のできない戸籍の問題等もあり、年月の経つのを待つしかないようです。

幹事報告
A)到着文書  
1)ガバナー事務所より  
・「仙台空港にロータリーのバナーを掲示し被災者を見守るプロジェクト」の支援のお願い
2)ガバナー・エレクト事務所  
・次期ガバナー補佐会、次期クラブR財団研修会の御礼
3)比国育英会バギオ基金より  
・2011年度事業報告書の送付と基金へのご寄付のお願い
B)例会変更  
・鳥取RC   
2013/1/3(木)休会   
2013/1/31(木)3000回記念例会   
ビジター受付は1/31のみ定刻アクティビル5階にて
C)報告事項  
・理事会報告   
来年1月?6月までの間、会費納入について月々2万円の分割も受け付けます。ご希望の方は事務局の方へお問い合わせください。

委員会報告
◎出席率報告  
12月11日 会員53名中 欠席10名 81.13%  
11月27日 補正後   欠席8名 84.62%

◎結婚記念日等御祝  
森本正行さん

◎創業記念日等御祝  
角脇篤彦さん 山本潤一さん 千金周一さん  米田由起枝さん 塚田 隆さん

◎クラブ運営委員会(西川リーダー)より  
例会後、年忘れ家族会の話し合いをします。

*スマイル報告(当日13,000円 累計293,500円)
植田哲朗さん @先日の入会3年未満の方のIDМは大盛況でした。関係者の皆さんお世話をして頂きありがとうございました。A大雪になりました。少し早かったですね。
千金周一さん 本年の例会もあと2回になりました。次週の「年忘れ家族会」は皆で盛り上がりましょう。松長委員長宜しくお願いいたします。 角脇篤彦さん 田中紀章先生、お世話になりました。
小林弘尚さん カレンダーが薄くなりました。白いものも降りました。寒さも厳しくなりました。風邪が誘惑してきます。お付き合いしないようにしましょう。
田中紀章さん 山中教授のノーベル賞受賞を慶んで。
霜村哲男さん スノータイヤを自分で着けましたので、浮いたお金でスマイルします。
山根京子さん バンド練習の見学へ行きました。年忘れが楽しみです。
無届欠席 1件
早退 2件
*四大御祝(当日10,000円 累計154,000円) 
角脇篤彦さん
塚田 隆さん
千金周一さん  創業記念日等
米田由起枝さん
山本潤一さん
*ワンコインスマイル(当日0円 累計48,450円)

卓話
「iPS細胞にかける」
田中紀章さん  
山中教授のノーベル賞受賞のシーンを見ながら、6年前のことを思い出しました。その頃、私たちは生体肝移植の現場から提起された問題、劇症肝炎治療の限界を破るため、バイオ人工肝臓をつくろうと、テロメラーゼ遺伝子を使ってヒトの肝細胞を増殖させる研究を進めていました。  2006年3月、岡山で第5回再生医療学会を開催することになり、学会の特別講演はソウル大学 黄教授による「ヒトクローンES細胞」を予定しました。ES細胞とは、多能性幹細胞ともいい、すべての種類の細胞に分化する能力を持ちながら、ほぼ無限に増殖する事ができる細胞のことです。しかし、黄教授の研究成果が虚偽と認定され、講演は取り消しとなりました。私たちは拍子抜けでしたが、今から思えばそれは嵐の前の静けさでした。  
その年の8月、山中教授の「マウスの皮膚細胞に4個の遺伝子を入れ、多能性幹細胞(万能細胞)をつくった」という論文が発表され、さらにヒトに関する研究がこれに続きました。このES細胞とほぼ同じ機能を持った細胞はiPS細胞と名づけられました。  ES細胞は受精卵に続く胚というものを壊して得られるもので、生命倫理上、大きな問題を含んでおり、なかなか思うように研究を進めることができませんでした。ところが、普通の細胞から得られる万能細胞、iPS細胞の登場でこの壁が一挙に破れ、日本のこの分野の研究は世界のトップに躍り出たのです。  
最近の成果をみると、iPS細胞を用いて、インスリンを分泌するベータ細胞、その大事な細胞を含む膵島(ランゲルハンス島)をつくったという報告があります。マウスでの話ですが、ヒトまであと一歩です。となると、再生医療を用いた糖尿病の治療はもうすぐ実現するのでしょうか。  
ここで次の壁が立ち現れてきました。最近の研究によると、iPS細胞の遺伝子には様々な不安定性があり、そのままでは「がん化」のリスクがあって細胞を体内に入れて使うのは難しそうです。でも、この壁は「がん」の秘密を開く扉かもしれません。  
そう信じて私は後輩たちにエールをおくりたいのです。「頂上アタックを目指せ。ベースキャンプには山中教授あり」と。              
(担当 森本美明)