No. 6

本日の例会
2012年8月7日(火) 第2523回
◆君が代・奉仕の理想
◆献立 100万ドルミール
◆委員会事項  誕生日御祝
◆卓話 第1グループガバナー補佐
 小林健治氏(倉吉RC)
※クラブ協議会 11:00〜3F「特別会議室」  
8/14(火)休会

次回の例会
2012年8月21日(火) 第2524回
◆ロータリーソング  我等の生業
◆献立  パーティー料理
◆納涼夜間例会  18:00〜
 鳥取ゴルフクラブレストラン(浜坂)

先 週 の 例 会
2012年7月31日(火)

会長挨拶  
今の大河ドラマ「平清盛」は不評だといいますが、私は面白く見させていただいています。大河と言えば、最近では「篤姫」が今もBSで再放送されていますが、お気に入りの一つです。
「篤姫」の養父「島津斉彬」の生母「弥姫(いよひめ)」は、因幡鳥取藩池田家第6代藩主「池田治道」の娘で、母は仙台藩伊達家第7代藩主「伊達重村」の娘です。その「弥姫」は「島津斉興」との間に長男「島津斉彬」と次男として後の岡山藩池田家第7代藩主となる「池田斉敏」を生み鹿児島では大変喜ばれたようです。  
今年のガバナー公式訪問運営計画書の表紙は、お気づきだと思いますが鳥取藩江戸上屋敷の正門です。当時は現在の帝国劇場のあたりにあったようですが、今は上野公園の中、東京国立博物館の構内にあります。東大の象徴として知られている加賀藩前田家の通称「赤門」と対比して「黒門」と称されております。この「赤門」は正門ではなく、第11代徳川家斉の姫が前田家に嫁いだ時に造営された御守殿門です。  
さて今日、このようなお話をした背景は、来週クラブ協議会に来られる倉吉RCの小林健治第1グループガバナー補佐とお話をした時、先ごろ来鳥された天皇皇后両陛下のお話になり、さかのぼって大正天皇のお話が出たことによります。  
昨年のクラブの家族会で花回廊に行く道中、岡森会員から倉吉の詳しいお話を聞き、尚且つ大正天皇のお話になったことは参加された方は覚えていられると思います。  
大正天皇の生母は「柳原愛子(やなぎわら なるこ)」様と言い、鳥取とは深いご縁のある方だということです。私が、あれこれ申し上げるのもいかがなものかと思い、時間があれば卓話の時に、そのあたりのことも触れて頂ければありがたいですと小林ガバナー補佐には言っております。  あらかじめ、来週の卓話の予告編ということで、生母つながりということで、前段のお話から入らせていただきました。来週は是非ともたくさんの会員方のご出席をお願いし、ご挨拶といたします。

幹事報告
A)到着文章  
・国際ロータリー日本事務局より   
8月のロータリーレートは   1ドル=80円と連絡がありました。
B)例会変更  
・倉吉ロータリークラブ8/21(火)8/28(火)  夜間例会に変更   
いずれも定刻定例会場にてビジター受付を行  います。
C)連絡事項  
@8/7クラブ協議会について小林ガバナー補佐より “
ノーネクタイ(クールビズ)で行かせていただきますので皆様もお気遣いなく”という連絡が入っております。  
A鳥取ローターアクトの例会案内
8/2(木)商栄町卸センター2F会議室19:00〜
B毎月最終例会に「R財団1コインスマイル」BOXを回します。御協力お願いします。

委員会報告
◎出席率報告  
7月31日 会員52名中 欠席6名 88.36%  
7月17日 補正後   欠席7名 86.54%
◎出席表彰  
霜村哲男さん(17年)田邉賢二さん(15年) 小林弘尚さん(8年) 岡森 裕さん(3年)
◎クラブ運営委員会 西川リーダー  
8/21の納涼夜間例会に多数ご参加をお願い致します。浴衣でのご参加、大歓迎します。  
送迎バスは鳥取駅南を17:30に出発します。 

メークアップ  
7/24 倉吉RC  田邉賢二さん  
7/25 米子東RC 湯浅浩司さん  
7/26 鳥取RC  西浦伸忠さん  
7/27 鳥取西RC 田村博信さん      

スマイル報告 (当日18,000円 累計94,000円)
植田哲朗さん @本日のクラブ協議会練習会に出席の皆様、ご苦労様でした。A連日の暑さにまいっておりますが、オリンピック日本選手団の活躍に心躍っております。
千金周一さん 理事、役員、会員の皆様、例会でのスマイルを積極的にお願いします。
田中英教さん 間もなくお盆ですね。
霜村哲男さん @すみません!卓話でお耳を汚します。A出席表彰
田邉賢二さん 出席表彰・創業記念日等
小林弘尚さん 出席表彰
岡森 裕さん
森本正行さん 創業記念日等
早退 2件

卓 話
「雖井蛙流(せいありゅう)」    霜村哲男さん  
以前、倉敷の地区大会の折り、剣道八段範士・居合七段だった我がクラブの先輩、山根幸恵先生から、鳥取県に“雖井蛙流”と言う剣道の流派があるという事を教えて頂き、妙に風変りな名前だなと思った記憶がありました。先生は無口で穏やかな好々爺の風貌でしたが、凛として、泰然とされた雰囲気はさすが練達の侍だなと感じ入ったものです。(居合抜きで畳を真っ二つに切られたのは、先生だけだったとか…)  
去年の春先、宇江佐真理さんの“雷桜”という時代小説が映画化されましたが、彼女の作品の“深尾くれない”と言う題名の本に巡り会いました。この物語の主人公こそ先生に教えていただいた「鳥取藩の雖井蛙流」を編み出した深尾角馬なのです。  
物語は不義密通を働いた新妻と後妻を、無残にも切り捨てると言う、角馬の狂気ぶりが周りを驚かすのですが、剣の達人でありながら、紅の牡丹を愛しつづけた、雖井蛙流元祖・深尾角馬の凄絶な生涯を、宇江佐真理さんは角馬こそ真の侍として、愛しさと憐れみを込めて書いています。  
ちょうど10年前、角脇会長年度の平成14年1月に先生が亡くなられ、その翌月から“深尾くれない”は小説新潮に連載されています。思えば、地区大会での山根先生との出会いがあって、宇江佐さんの時代小説に出会い、引き込まれました。  
これも、北ロータリークラブに居てこその縁だなと今更ながら感謝しております。皆さん倉敷の地区大会に参加しましょう。

「鳥取県のなし産業について」    岡森 裕さん  
はじめに、鳥取と言えば、砂丘と梨…いわば鳥取の代名詞二十世紀梨は千葉県松戸市で1888年発見され1898年命名された。  
鳥取県への導入は、明治37年(1904年)北脇永治氏によって10本苗木から。1895年(明治28年)当麻長十郎 大正末には80%、二十世紀は明治末から大正にかけて全国に広がっていった。  
ところが先進県の千葉、静岡、愛媛など黒班病によって二十世紀梨栽培を断念していった。  
鳥取県でも、大正9年頃には黒班病で栽培を放棄する者が出だした。これには、鳥取県民の粘り強さを遺憾なく発揮した、関係者の熱意と努力によってこの難局を乗り越え、日本一の産地になった。戦後、桑畑から二十世紀へ急速に変わっていった。
・昭和48年 栽培面積も3000fを超え、全国の約2割、二十世紀では約5割(二十世紀38%、長十郎35%)
・昭和58年には鳥取の梨は3880f、二十世紀3000f(千葉、茨城が1600、福島、長野1500〜1400f)販路拡大と二十世紀梨の輸出
・昭和8年、朝鮮に輸出 44年ハワイへ、台湾中心に輸出。輸出による国内需給の調整に積極的に取り組んだ。
・昭和54年台湾が梨の輸入禁止措置。56年台湾以外の輸出先を求めて県補助金(香港が中心)
・昭和57年鳥取県果実連会長 秋久勲〜花本美雄氏 ・昭和59年にはアメリカ本土に輸出が実現(西尾知事訪米)
・昭和62〜63年には出荷量の約2割に達した。
・平成元年 オーストラリア輸出実現した。  
この頃世界17の国と地域へ輸出された。
オーストラリア輸出の裏話  
検疫の厳しい国、青果として初めて国は針の穴でも開けたい。9月県議会オーストラリア輸出と知事訪問が発表された。  
公明党の反対、オーストラリアから虫が見つかったので陸揚げできないとの連絡が入る。オーストラリアの航空スト、果実連、県の協議、果実連事務局は知事訪問中止、県の課長は判断できず、会長は困ったなあと頭をかく。  
シドニーには上がっている、メルボルンがダメ  燻淨措置の対応と商社の活躍  
オーストラリア全土の航空スト(長期期間)国際線は運行シドニーで爆弾話  メルボルンへ ABCで梨料理の放映、パーティーで梨の皮むき、マジシャン、農場視察  この後、鳥取県の梨栽培は急速に衰退の道を歩んでいる。  
平成23年 二十世紀9%、長十郎0%、幸水40%、豊水27%、新高10%  
鳥取県の梨は、約4千fの面積と約11万トンの収穫量を誇り、誰がみても日本一産地であった。  
現在、栽培面積約千f、収穫量約2万トン、全国の収穫量は、千葉、茨城、栃木、福島に次いで5位。  
これを皆さんがどのように考えどう思われるでしょうか?              
(担当 田村博信)