No. 33
本日の例会
2014年3月7日(金) 第2597回
◆ロータリーソング 奉仕の理想
◆献立 パーティー料理
◆卓話 東部5RC合同例会
18:30から ホテルニューオータニ鳥取
次回の例会
2014年3月18日(火)「四つのテスト」第2598回
◆ロータリーソング 鳥取北RCの歌
◆献立 洋食
◆委員会事項
結婚記念日等御祝 創業記念日等御祝
◆卓話
入江敏夫さん(PETS報告)
秦野諭示さん
※例会後、次年度理事会 (梨花の間)
前 回 の 例 会
2014年3月4日(火)
会長挨拶
本日は、私の得意な「木材」のお話をさせていただきます。テーマは『出雲大社のご本殿に使われている木材は何か』です。大国主大神さまのお住まいであるご本殿は、天照大御神さまの御心によりご造営されたことに由来し、往古より「天下無双の大厦(たいか)」と称され、その建物の壮大さは『口遊(くちづさみ)』(970、源為憲(ためのり))にも「雲太、和二、京三」と記されています。すなわち、建物の大きさでは雲州・杵築大社が第一、大和・大仏殿が第二、京都・大極殿が第三ということです。これが架空のことではないことが、近年、考古学的事実から明らかにされつつあります。
さて、「平成の大遷宮」では、大国主大神様は、平成20年4月に「お仮殿」にお遷りになり(仮殿遷座祭)、平成25年にご修造の整った「ご本殿」にお遷りになりました(本殿遷座祭)。さらに、ご本殿周辺の摂社、末社が全て整うのは平成28年の予定となっております。現在のご本殿は、延享元年(1744)にご造営され、その後、文化6年(1809)、明治14年(1881)、昭和28年(1953)の3回のご修造を経て、今日に至っております。平成のご修造では平成20年・4月〜平成25年・5月に、ご本殿が一般に公開されました。私も、この機会に3度ご本殿に上がらせていただき、近くから隅々を拝観させていただきました。また、平成24年4月13日〜15日には、千家家が秘蔵し、これまで門外不出であったご本殿の平面図「金輪御造営差図(かなわごぞうえいさしず)」が初めて公開され、これも拝見することができました。
出雲大社のような特別なご神殿には、どのような木材が使われているのか、以前から大変気になっていたところです。ご本殿は、現在、「高さ」は8丈(24m)、平面は6間四方(10.9m)の「田の字造り」で、9本柱の礎石立柱式(そせきだてばしら)・高床式・切妻造り・妻入りの、いわゆる「大社造り」の建物です(江戸期以前は掘立柱式であったため何度も倒壊したことが記録に残っています)。心御柱(大黒柱の元祖、長さ6間半(11.8m)、径3尺6寸(1.1m)でスギ丸太)、宇豆柱(長さ8間半(15.5m)、径2尺8寸8分(0.87m))でスギ丸太)、側柱(長さ6間半、径2尺4寸(0.73m)で多分スギ丸太)、縁(前面1丈2尺(3.64m)、左右後幅9尺(2.73m)、厚さ7寸(0.21m)でヒノキ厚板)、屋根(桧皮葺、竹釘どめ、スギ下地板重ねばり)、千木(長さ2丈6尺(7.9m)、幅2尺5寸(0.76m)、厚さ7寸(0.21m)でアカマツ材)、鰹木(長さ1丈8尺(5.45m)、周囲8尺8寸(2.67m)でアカマツ材)、となっております。
以上が、出雲大社ご本殿の概要ですが、ここでなんといっても不思議なのは、なぜ心御柱や宇豆柱といった本建物の最重要部材が「スギ」なのかと言うことです。どうか、皆様のお知恵をお貸しいただければ幸いです。
幹事報告
A)例会変更
・米子南RC
3/31 夜間例会 ビジター受付 定刻定例会場
4/7 移動例会 ビジター受付 定刻定例会場
4/28 休会 ビジター受付 なし
5/5 休会 ビジター受付 なし
B)連絡事項
@ RAC、例会企画書 3/6(木)PM19:30〜商栄町より
A4/26 第1、2グループ合同IM 11月の理事会で全員登録承認 多くの出席をお願いします3/10(月)〆切り
C)その他
・我クラブのプロジェクターを使用する
・3/7 合同例会 PM6:30 ホテルニューオータニ鳥取より
・3/11 休会 ゲスト 福田 収さん
委員会報告
◎出席率報告
3月4日 会員49名中 欠席18名 83.67 %
2月18日 補正後 欠席11名 77.55 %
◎誕生日御祝
松田恭子さん 田中和夫さん 宮ア正彦さん 田村博信さん
*スマイル報告(本日9,000円 累計411,500円)
古川郁夫さん これから5クラブ合同例会、地区IMと、物入りの行事が続きますが、どうぞ宜しくご協力の程お願い致します。
山田雅文さん 久しぶりの例会、前年度及び前前年度の幹事さん、ご迷惑を掛けました。
宮ア正彦さん 大手証券会社の女性役員からバレンタインデーにトリュフチョコを頂いたので、ホワイトデーにひっかけて“白イカの麹漬け”を渡しておきました。お返しも地産地消に心がけています。
早退 3件
遅刻 1件
無届欠席 1件
*四大御祝(本日10,000円 累計222,000円)
田中和夫さん
宮ア正彦さん 誕生日
田村博信さん
入江宏一さん
山本潤一さん 出席表彰
*ワンコインスマイル (本日0円 累計73,575円)
卓話
「鳥取の地価について」
村上保雄さん
@地価公示価格…1/1時点 国土交通省都市計画区域内 東部で61地点
A地価調査価格…7/1時点 都道府県 全県すべての町村 東部で67地点
B相続税路線価…1/1時点 国税庁 都市中心部のみ @・Aの80%
C固定資産税評価…1/1時点(3年1回評価替) H27年(来年)がその年 @・Aの70% 「全国地価マップ」で検索可能
D鳥取市の状況
住宅地:平成11年ピークがその後下落。 最高地 H11年750千円/坪→310千円/坪 ピーク時の約40%。 住宅地:平成3年ピークがその後下落。
最高地 H3年4,000千円/坪→500千円/坪 ピーク時の約12.3%。
「保健所勤務の頃−天然痘の集団発生−」
入江宏一さん
1年間の保健所勤務のなかで、もっとも印象に残ったことは、天然痘の集団発生を経験し、防疫活動に従事したことです。
昭和26年6月26日、本町の保健所に着いた途端、「管内に天然痘が発生した」との電話が入り、急いで智頭保健所に帰った。
ここまでの経過は、26日朝、患児一人が診断のため鳥取赤十字病院を受診して天然痘と診断され入院した。午後、県の中村予防課長と赤十字病院の柴田皮膚科部長が現地に行き、診察の結果3人を真痘と診断、そのうちの2名はただちに国中村にある組合立の隔離病舎に収容され、1名の重症の在宅の患児は移動できる状態でなく、私が毎日往診したが、痘瘡性紫斑病で全身暗赤色を帯び、手の施しようもなく、変熱にあえぎながら母親に抱かれて死亡しました。
私は2週間、役場の2階に泊まり込み防疫活動に従事しました。3人の医師で4,300名の種痘作業を実施しました。はじめの頃は連日、はげしく、緊張した作業でしたが、特に苦痛とも思わず過ごしました。患者の内訳は次のとおりです。
真痘 5名(大人1名 子ども4名)死亡3名(大人1名 子ども2名)子ども4名はいずれも種痘未摂種 仮痘 5名 患者数 10名 死者 3名 その後、新たな患者発生はなく、発生後3週間で終息をみた。この事件は国内における天然痘の最後の流行と言われています。
世界的にみて、1967年よりはじまったWHOの天然痘封じ込み作戦が効を奏して、1977年ケニア、ソマリヤの発生が最後となり、1955年5月8日WHO総会は、世界から天然痘が根絶され、この疾病が再び人類を悩ますことはない事を宣言した。
(担当 松下栄一郎)