No.11

本日の例会
2015年9月15日(火) 第2666回
◆ロータリーソング
 鳥取北RCの歌
◆献立 和食
◆委員会事項
 創業記念日等御祝
◆卓話
 第1グループガバナー補佐
 野間田節雄 氏
※9/22 休会

次回の例会
2015年9月29日(火) 席くじ引き  第2667回
◆唱歌 ふるさと
◆献立 ミール
◆委員会事項
 出席表彰
◆卓話
 笹野眞紀さん 
 鳥取RAC
 井土洋志さん

先 週 の 例 会
2015年9月8日(火)

会長挨拶
 鳥取北ロータリークラブは平成28年2月23日、創立55周年を迎えます。2月20日(土)に記念式典を挙行し、会員の皆様並びに関係者の皆様と喜びを分かち合いたいと考えます。いよいよその準備活動を開始いたします。皆様方のご協力よろしくお願いします。
 当日はまず白駒妃登美氏の記念講演を予定しています。白駒氏は「博多の歴女」としてただいま売り出し中。年間150回位の講演をなさっておられます。日本の歴史の知られざるエピソードを発掘し、私達がどう生きていくべきか、様々な示唆に富んだお話をされます。輝ける女性のトップランナーともいえます。一聴の価値大いにありと思っています。
 記念式典、祝賀会については会場の関係から、ロータリークラブ中心の会にしていきたいと考えています。
 独自の記念誌は発行しませんが、次年度クラブ運営計画書に掲載する予定です。
 寄付事業については現在有力な案が寄せられています。実行委員会、理事会で決定します。
 記念式典組織表、担当内容表は別紙の通りです。ご協力よろしくお願いいたします。

鳥取北RC創立55周記念式典 日程
平成28年2月20日(土)(ホテルモナーク鳥取)
15:00〜16:30 記念講演 仁風の間(東)
17:00〜18:00 記念式典 鳳翔の間
18:30〜20:30 祝賀会 仁風の間(東)

幹事報告(松本副幹事代行)
A)到着文書
 1)松本直前ガバナー事務所より任期終了の御礼
 2)ロータリーの友事務所より英語版希望者注文
 3)国際ロータリーよりザ・ロータリアン9月号
B)例会変更・メークアップ情報
クラブ名 日にち・会場
鳥取RC 9/24(木)アクティビル5階
米子南RC 9/28(月)米子全日空ホテル
米子東RC 9/30(水)ホテルサンルート米子
倉吉東RC 10/22(木)倉吉シティホテル
米子南RC 10/26(月)米子全日空ホテル
倉吉東RC 11/6(木)倉吉シティホテル
米子南RC 11/30(月)米子全日空ホテル
米子東RC 12/9(水)ホテルサンルート米子
米子RC 12/18(金)米子全日空ホテル
C)その他連絡事項
9/27の鳥取砂丘一斉清掃参加要請

坂野経三郎さんより、退会挨拶(9月末)がありました。

委員会報告
◎出席率報告
 9月8日 会員49名中欠席9名  81.63%  
 8月25日 補正後欠席9名  81.63%  
◎結婚記念日等御祝
 植田哲朗さん 田中和夫さん
 野田英明さん(入会記念)  岡田克夫さん
◎ゴルフ同好会より
第2回坂根会長杯10/12(月)

*スマイル報告(本日9,000円 累計136,000円)
坂根 徹さん 坂野さん、残念です。でもまたいつか、たくさんの方を引き連れて戻って来てください。楽しみにしています。
坂野経三郎さん 大変お世話になりました。今後とも、ロータリーを離れましても、御指導宜しくお願いします。
田中英教さん 田邉さん感謝です。
宮ア正彦さん 先々週、オーストリアのウィーンに行き、鳥取県出身の竹歳オーストリア大使を訪問しました。大使公邸での懇談会に、一緒に参加した地元の若手経営者達も感激しておられました。難民問題のニュースも身近に感じるこの頃です。
山根敏男さん 鳥銀ゴルフコンペで優勝しました。
早退 1件
※四大御祝(本日4,000円 累計56,000円)
植田哲朗さん
野田英明さん 結婚記念日等

卓話
「ロータリー情報」 植田哲朗さん
 今月のロータリー情報は「ロータリーの友」誌の8月9月号に特集を組んであった「ちょっと変わった?例会の食事のエピソード」から紹介をさせて頂きます。
 各クラブ食事の内容に工夫を凝らし、経費節減まで独自の取り組みをされています。
@東京東村山RC
 毎木曜日の第3例会を「うどんの日」とし、地元名物の手打ちうどんを出され、かなりの高評価で、今年で8年目になるようです。
 鳥取北RCも15年前の40周年の年、私がSAAをしており、厚生年金でうどんが出せないものか一度検討をしたのですが断念をしました。
A名寄RC
 20年以上前から毎月最終例会は夜間例会とし、パーティー料理ではなく「煮込みうどん」と「おにぎり」をメインとして、寒い日も暑い日も鍋を囲んでの例会をされているということです。
 鳥取北も時々は夜間例会も工夫をしてみても面白いかもしれません。いつもパーティー料理でなく、弁当だけで1時間で例会を終わるとか。
 今年は年当初からSAAさんより食事についていろいろ意見が出ていました。モナークさんには対応をして頂いているようで今年の食事は少し楽しそうな感じがいたします。先週もミールでしたが結構美味しくいただけ、ビジターの方からも好評価でした。
 ロータリーの友は、毎月のテーマで記事がつくられています。時にはこのようなお話も載っていますので、是非とも目を通していただきます様お願いをいたします。

「地元のうんちく学講座」 伊藤教史さん 
 今日のテーマは「地元のうんちく学講座」です。
第一は「鳥取にそば屋がないのはなぜ?」
 最近、米里の「そばきりたかや」駅近くの「田久」とか本通りの「かわぐち」などができましたが、鳥取には蕎麦屋がごく少なく、そば処の出雲や出石に比べれば全く違っているのが現実です。
 それはなぜか?1584年の小牧長久手の戦いの時、当時の池田家の当主である「池田恒興」と長男の「之助」がこの戦で討死しました。それがソバ畑の上であったことから「そばは縁起が悪い」、として家来の間にそばを敬遠する風潮ができ、鳥取ではそばを食べる文化が根付かなかったようで、鳥取には蕎麦屋があまりできなかったということです。
 一方隣の出雲や出石では殿様は信州からの転勤族なので、そば打ちの技術や文化を持ち込んでそば文化が大いに浸透していき、現在でもそば処として有名です。
次に「鳥取の池田の殿様って徳川家の親せきなの?」
 秀吉1590年の北条攻めにより、北条氏は滅亡。北条氏直に嫁いでいた徳川家康の娘督姫は出戻ってきました。これをなんとかしなきゃいかんということで、諸条件が良かったのでしょう池田輝政に白羽の矢が立ちました。
 ところが輝政には既に糸姫という正妻があり、四人の男の子がありましたが、やむなく正室として迎え入れることになりました。その時輝政31歳、督姫27歳。糸姫は泣く泣く離縁ということになりました。
 そして輝政と再婚して5年後に督姫は「忠継」を生み、忠継以後家康の血を受け継ぐ者として「松平」を名乗ることとなります。従って鳥取池田藩は徳川の親戚、一門の大名であり、同じ輝政の子でありながら利隆の方は糸姫の子である故に外様大名という位置づけとなります。
 家同士では岡山の池田さんが本家、鳥取は分家。しかし対徳川でみれば鳥取の池田さんは親藩、岡山の池田さんは外様、という具合にうまく池田家内の結束を削ぐような処遇を行うなど、この辺に徳川幕府の大名懐柔の妙があるようです。
三つ目は荒木又右衛門が出てくる「伊賀上野の仇討」の真相に迫ります。
 日本三大仇討の一つが伊賀上野の仇討。この伊賀上野の仇討には池田の殿様が大いにかかわっています。
 事の発端は当時岡山藩主でした池田忠雄の寵愛する小姓渡辺源太夫に藩士である河合又五郎が横恋慕しまして、その果てに又五郎は源太夫を殺害してしまう、という事件が起こります。又五郎は逐電して江戸に逃げ、なんと徳川の旗本である安藤家へ逃げ込んでしまいます。悪いことにその安藤家というのが、小牧長久手の戦いで藩祖池田恒興と長男之助を討ち取った安藤直次の安藤家だったことから更に忠雄の怒りを増幅させる結果となりました。
 家中の不祥事が大名と旗本とのメンツをかけた争いに発展してしまいました。幕府は喧嘩両成敗として旗本たちには謹慎、河合又五郎には江戸追放、池田家は鳥取へ国替え(左遷)を決定します。
 騒ぎの最中に忠雄は疱瘡により急死するわけですが、死に際して「死後自分の法要はしなくてもいいから又五郎の首を必ず届けるように」と命令しております。忠雄の藩主としての資質についてはともかく、源太夫の兄渡辺一馬は伊賀上野で本懐を遂げ、その時助太刀したのがあの有名な荒木又右衛門でした。
 幕府にとっては一族である松平家を取り潰すわけにはいかず、本人である忠雄が都合よく急死したこともあって懲罰人事で幕引きを図ったわけです。この時の殿様が鳥取藩の藩祖となる松平光仲であります。光仲は8歳の時元服、当時の将軍である家光から一字名前をもらって光仲となります。光仲は大変かしこい人で幕府に忠誠を誓うため日光東照宮の勧請(今のおおち谷神社)や質素倹約の実行など行い、幕府から目をつけられないよう腐心したとのことです。
 次に四番目ですがちょっと時代は遡りまして、秀吉の鳥取攻めの時の城主吉川経家。自身は切腹して家来の命を救ったといわれておりますが、経家さん本当は切腹しなくてもよかった?
 吉川経家は毛利家の家臣石見吉川家経安の長男です。秀吉による鳥取攻めは1580年が第一回。この時の鳥取の城主は鳥取の守護職山名豊国。豊国といっても皆様御存知ないと思いますが、この人第一回目の城攻めの後家臣たちにクーデターで追放されてしまい、秀吉を頼って落延び二回目の城攻めでは攻める側として参加しております。
 豊国はこの後も命を長らえ家康・秀忠のお伽衆を務め80歳代まで生き、畳の上で死んだそうです。
 城主がいなくなった鳥取城としては大会社である毛利方へ社長派遣の要請をいたします。今すぐにでも織田方が攻めてきそうな環境であるわけですから、名より実、地位は低くても能力のある人材を要請したわけです。
 その時の吉川経家のギャラが600石。これまで石見で230石だったそうですから約3倍増です。大会社毛利家から見れば社長のいなくなった零細会社への社長派遣です。従って、経家のミッションも雇われ社長としての経営立て直しであって、オーナー社長として全面的に責任を負う必要はなかったのが実際のところです。そういう立場の人間に切腹を要求するのは、外聞が悪いというのが当時の常識であったようで、実際に秀吉も切腹までは要求はしておりません。要求したのは重臣二人であります。
 実際経家が腹を切ろうが切らまいが開城すればそれで終わりで、城の中の人々は救われたのが実際の話だったようです。しかし経家のたっての希望で最後は信長の許可を得て切腹を認めております。
 若くして死んだ経家は歴史に名を残し、生き続けた豊国は歴史のなかに忘れ去られた存在となったわけでございます。
 最後に「世界一の能面コレクターは誰?」
 それは鳥取池田家(松平家)の三代藩主吉泰です。名前が示す通り、将軍徳川吉宗立ち合いでの元服をいたし、吉宗の名前を一時もらい「吉泰」と名乗ります。
 この方無類の能好きでして、自らも舞台で舞ったようです。また能面の蒐集に努め約800もの能面を所有しており、その数は将軍家を上回っていたそうでして日本一のコレクターでした。当時日本以外で能面を持っている人はおりませんから日本一=世界一となります。現在鳥取にはほとんど残っておらず、一部は井伊家の美術館にあるようです。
 つまらないことばかりしゃべりましたが、ここでお知らせです。たまたまおおち谷の「やまびこ館」で関連のイベントがあるようです。9/12〜10/25まで「荒木又右衛門と鳥取〜伊賀越え仇討始末」、9/25〜10/12まで「吉川経家と鳥取城の戦い」であります。興味がおありの方は出かけてみられてはいかがでしょうか。
 このたびの「卓話」のためあらためていろいろと調べてみると新しい発見などもあり、地元のことを知る良い機会となりました。ご清聴ありがとうございました。
(担当 植田哲朗)