若桜町の四季と史跡の探訪


 

幻の滝

国土地理院の地図にのらなかったこの滝は、いっきに垂直に落ちるというのでなく、幅10m、高さ50mの中央でバウンドし波となり全岩を流面とし、しぶきを放ち落ちる様は壮大である。標高900mの山中にひそんで今、世に現れたため、幻の滝と呼ばれている。

 

 

 

 

不動院岩屋堂(重要文化財)

天然の岩窟内に建築されているこの堂は、大同元年(806)、飛騨の匠が建築したもので、本寺は妙見山神光寺といい、百五十石の寺領を有する大伽藍であったが、豊臣秀吉来攻の時兵火に罹り消失し、この堂だけが焼け残ったものといわれる。また本尊の不動明王は、弘法大師が33才の時に彫刻されたものと伝えられ、日本三大不動明王として名高い。

 

 

 

 

カリヤ通り

宿場町・商業の町として発展してきた町並みは、東西に5本の川が流れていたが、明治年間の大火の後、宿内の各戸は道路より約3m退けて建てられ、近年まで家並は仮屋と呼ぶ通りに面して雨や雪の日に往来する1.2mのヒサシを設け、さらに道路に沿って用水と流雪用の小川が流れ、どの家も鯉の飼育が行なわれてきた。“若桜よいとこ雨の日もカリヤづたい傘いらず”と唄われている。

 

 

若桜神社

社伝によると古くから「松神大明神」と呼ばれ、武内宿弥が参拝された古社であり、郡中の大社として、若桜城主の崇敬を集めて、名和長年や因幡国守護山名伊豆守らが参拝し、鉾や鏡を奉納したと伝えられている。また、広い境内の森は、シラカシを中心にヒノキやモミの原生林として県の天然記念物に指定されている。(例祭日 53日)

 

 

若桜鬼ヶ城跡

若桜宿の南東「鶴尾山(442m)」にある若桜鬼ヶ城は、正治2(1200)に駿河国矢部十郎暉種によって開城された。矢部氏16代の城主が続き、尼子・毛利・秀吉軍らの戦場となり、その後木下・山崎氏等の居城となったが、元和3(1617)の一国一城令によって廃城となった。現在も本丸、二ノ丸、三ノ丸などに石垣が残り、典型的な山城の形態をとどめていて、平成7年に県の指定史跡に指定されている。

 

 

 

大鹿滝

21世紀に残したい日本の自然100選に選ばれた緑と紅葉、森林浴の諸鹿渓谷の上流にあり『諸鹿七滝』と呼ばれる滝の一つである。高さ15メートル余り、周囲は畳々たる岩石でおおわれており、夏季には、天然クーラーの清涼感が味わえ、広留野高原とともに絶好のいこいの場である。滝つぼの裏が通り抜けられ、スリルが味わえる。

 

 

 

 

若桜歴史民俗資料館

典型的な土蔵造りで、豪商の面影を伝えているこの資料館は、明治40年に若桜銀行として新築されたものを、現在地に移築復元している。銘木を駆使して間口に比して低い軒や土蔵の妻の、技巧が正面に施され、変化に富んだ美しさを現出している。館内には、町内の歴史資料や民族資料を展示し、庭園には郷土の名石『三倉石』が配されている

(毎週水・日の午後会館・無料)

 

蔵通り

若桜宿内の裏路地には、旧家の白壁の土蔵が建ち並び、かつての若桜宿の繁栄ぶりをしのばせ、さらさら流れる水音とあいまって独自の情緒をかもしており、格好の散歩道である。

この通りにあった四寺院は、明治18年の大火災後のとり決めにより、この通りには土蔵以外の建物、人家を建てることが禁止された。このため、本堂や庫裏はいづれも道より約

30m隔てて土台を据えつけている。

 


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