「ぼやしか男」の徒然草(その13)
健康奉仕(67歳)
薩摩の・一寒村の・昔々の・子供の日
♪ 喧嘩しゅーかナ ホイホイ 喧嘩しゅーかナ ホイホイ ♪
5月は、男の節句である。節句の朝、わが部落の子どもたち十数名は、
高らかに鬨の声をあげながら行進を始める。全員が背中に、あくまき
を袈裟掛けに括りつけらている。母親が、戦いに、勇ましく出陣する
子供のために、昼の弁当として持たせたものだ。手には、それぞれが、
ハチマキ状の布切れを持っている。これは、銃なのだ。
目的地は、1キロほど沖に浮かぶ小島、「Y島」である。「Y島」は、
私たちの村ではない。小さな島で人口も少ない。それなのに、<村>
ではなくて<町>なのだ。それが、どれほど口惜しいことか。<村>
の子供にとって、許し難いことなのだ。だから、長年にわたって、仲
が悪い。
「Y島」へ渡る手段は、二通りあった。潮が満ちているときは、渡し
船。船も一隻、船頭も一人なので、運航中でなければ、どちらかの渡
船場に係留している。渡船場には、カンテラが用意してあって、渡し
船を利用する人は、灯をともしたカンテラを、対岸に向かって大きく
振ればいいのだ。
干潮時には、「Y島」まで潮が引くので、歩いて渡る。干潮が近いと
きには、渡し賃節約のため、渡船場で休憩して、潮が引くのを待つ。
石垣でできた<村側>の岸壁にたどり着き、まだ、干潮でないときに
は、ますます鬨の声を大きく張りあげるのだ。開戦まで、まだ間があ
ることが、心の余裕を生み、浮き浮きと、大きな声を張り挙げさせる
のだ。
♪ 喧嘩しゅーかナ ホイホイ 喧嘩しゅーかナ ホイホイ ♪
やがて、対岸にも、三々五々、子どもたちが姿を現し、私たちと同じ
ように、
♪ 喧嘩しゅーかナ ホイホイ 喧嘩しゅーかナ ホイホイ ♪
と声を張り挙げる。しかし、その声は、あまりはっきりとは聞きとれ
ない。潮騒の音に邪魔されるからだ。
私たちは、ハチマキの片方の端を、人差し指に2、3回ぐるぐる巻き
付ける。近くにある小石を拾い、ハチマキの真ん中に載せ、二つ折り
にする。残った一端を、親指と人差し指で押さえつけ、体側で大きく
ぐるぐると回す。そして、勢いがついたところで、親指と人差し指を
離す。ハチマキから放たれた小石は、音を立てて沖の方へ飛んでゆく。
対岸からも石が飛んでくる。しかし、どちらの石も、せいぜい、味方
陣地の100メートル以内の波に消えていく。それでも、子どもたち
の興奮は高まり、届かぬ大砲を次々に撃ち込むのだ。
いい加減疲れ果てた頃、潮が引く。わが軍は、小石をポケットいっぱ
いに詰め込み、我先にと砂浜に飛び降りていく。生きて帰れぬかもし
れない。母と再び会えぬかもしれない。悲壮な覚悟である。
対岸まで潮が引いて、敵軍も砂浜に飛び降り、ぐんぐん迫ってくる。
わが軍は、すでに弾丸を使い果たしているのだ。1発も、相手には当
たっていないのに。
200メートルほどに敵が迫ると、逃げる以外に道はない。敵が、鬨
の声をあげ、走り寄ってくると、ひたすら敗走する。戦死も覚悟であ
ったのに、何という情けなさ。
敗走に敗走を重ね、「村側」の岸壁にたどり着く頃、敵の弾丸も底を
つく。
いよいよ、肉弾戦である。「ワア」という声の大きい方が、優勢だ。
追いつ追われつ、砂浜をひたすら走る。追いかけて興奮し、逃げて興
奮する。それが、延々と続くのである。決して、肉弾相打つことはな
いのだ。それは、暗黙の了解事項なのだ。
しかし、潮が満ちてくる前に、敵軍は引き揚げる。潮が満ち始めたら、
あっという間に、背が立たなくなるのだ。潮が満ちてくるのは、それ
ほど速いことを、子どもたちも、よく知っている。敵は、負けて逃げ
帰ったのではない。だが、いち早く岸に上がるのは、敵なのだ。わが
軍は、敵より後で引き揚げるのだから、勝者の気分を味わえるのだ。
勝ち鬨を挙げながらも、慌て気味に、急いで岸に引き揚げる。
石垣に腰掛け、あくまきをぱくつきながら、今日の戦いについて、声
高に語り合うのだ。いかに自分が、勇気ある行動を取ったかを。敵陣
に一番近づいのは、おれなんだ。おれは、逃げるとき、一番後ろだっ
たんだぞ。おれの石が、一番遠くまで飛んだのだ。自慢することは、
山ほどあるのだ。
戦いに疲れ、遊びに疲れて、夕方、我が家にたどり着く。怪我をして、
血が出たなんて話をすると、
「よくやった。さすが薩摩隼人だ。うんとごちそう食べていいぞ」と、
家族みんなから、ほめられるのだ。真実は、敗走の時、牡蠣の殻で足
を切っただけのことなのだが。
舞台は、今から、58年も前の北薩。太平洋戦争も、終末期を迎えて
いた。
戦う相手を傷つけない知恵を、当時の子どもたちは、身につけていた
ような気がする。逃げるが勝ちを、知っていたようだ。
「Y島」は、戦後の干拓工事によって、陸続きになった。当然、渡し
船もなくなった。アサリ貝やマテ貝、渡り蟹捕りで賑わった砂浜も、
永久に消えてしまった。今は、「村」が「町」、「町」が「市」に昇
格した。子どもたちの交流は、全く無くなった。よそ者に対する敵対
心も、関心もないみたいだ。
最も、子どもたちの姿が見かけられないくらい、過疎化してしまった。
人間は、昔の半分も住んでいない。
半世紀を経た広い広い干拓地には、雑草が一面に生い茂り、爽やかな
潮風に波打っているばかりであった。
今朝(4月28日)5時台のNHKニュース、とれたてマイビデオで
「Y島小学校、たった一人の新入生」が放映された。 偶然である。
05月10日(1050)
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