精の名を持つMA〜アプサラス〜

投稿者 人形男爵


 『機動戦士ガンダム/第08MS小隊』で印象度の最も高い兵器としてMAアプサラスがあげられる。ザクの頭部を持つなど、デザイン的には賛否両論があるが、一年戦争当時の最先端テクノロジーの粋であるミノフスキー・クラフトと高出力ビーム砲を搭載し、作中から伝わるその群を抜いた存在感だけは万人の認めるところであろう。またそのパイロットはガンダム歴代ヒロイン中、最もヒロインらしいヒロインといえるアイナ・サハリンであり、アプサラスの印象度の高さに大きな貢献をしている。

 このMAアプサラスの語源は、インド神話に登場する女の水精「アプサラスApsaras」である。これは両者ともに綴りが同じであり、ギニアス・サハリン技術少将指揮下のMAアプサラスの開発基地の所在地がチベットのナッチュ付近であることからも明らかだ(周知のようにチベットの神話、伝承にはインド起源のものが多く、関係が深い)。一見してミノフスキー・クラフトで「空」を飛ぶMAアプサラスと、「水」の妖精であるアプサラスとは結びつかないように思われるだろうが、そもそも「アプサラス」とは「水のなかで動くもの、雲の海のあいだを行くもの」の意であるから、「水」のみならず「空」とも関係が深く、雲、あるいはかすみの象徴とも考えられていたらしい。そして彼女たちは自由にさまざまな姿となることができるものの「水」と「空」を結ぶものとして、しばしば水鳥の姿になるとされた。後世、アプサラスが仏教を通じて中国へと伝わり、天女、天人、飛天と漢訳されるにつれ「水」の属性は薄れ、「空」の属性のみが強調されるようになる。MAアプサラスの場合、水精アプサラスの2つの主要な属性のうち、「空」の部分の方が由来であると考えられる。MAアプ サラスの初登場は4話であるが、その際、雲海をつき抜けて飛ぶさまはまさに飛天、天女としてのアプサラスを髣髴させよう。

 一般に水精アプサラスはガンダルヴァという名の半神半精の配偶者であるとされている。彼女たちの出生についてはさまざまな説話があり、創造神プラジャーパティーのばらばらになった身体より生まれたという説話、神々、魔族、人間、動物たちの生みの親とされるカシュヤパ仙とその21人の妻のうち、プラーヴァーという妻から生まれたとする説話、鳥たちの母バーシーから生まれたとする説話、神々が海をかきまわした時の泡から生まれたとする説話(乳海攪拌)が知られている。最も有名なのはこの乳海攪拌の説話である。これは神々とアスラ(阿修羅)が不死の霊薬(アムリタ=甘露)を得るため、大曼陀羅山を攪拌棒とし蛇王シェーシャ(ヴァースキ)を棒を引く綱として乳海をかき混ぜたところ、牡牛スラビー、酒の女神ヴァルニー、天界の樹パリジャタ、アプサラス、月の神ソーマ、幸運の女神ラクシュミー、そしてアムリタを持った神々の侍医ダヌヴァンタリが現れたという説話である。この乳海攪拌の様子を記したレリーフがカンボジアの世界遺産アンコール・ワット第1廻廊の東側面に残されており、非常に有名である。これは高さ2.5m、全長が49mにも及ぶ大作で12世紀前 半の作であるが、カンボジアの地までアプサラスがインドとほぼ同じ形で伝播されていたことを教えてくれている(ちなみにアンコール・ワットを解説した書物は天女像をアプサラスの名で説明しているが、厳密に言えばそれは誤り。カンボジアではテワダの名で呼ばれており、その名で呼ぶのが筋だろう)。

 乳海攪拌の際、共に生まれたラクシュミーが多くの神々から妻にと望まれ、調停神ヴィシュヌの后になったのに対し、アプサラスは誰からも求められなかったため、すべての者の妻になることが決められたという。そのため「快楽の娘」とも称せられ、その姿は非常に美しく官能的であるとされた。ティローッタマーというアプサラスはシヴァ神がその顔をいつも見ていられるように自分の顔を4面にしたほどの美しさだった。またラムバー、プランローチャというアプサラスはインドラの命令で苦行中のバラモンの聖者を堕落させるためにその美しさで誘惑している。この属性はMAアプサラスそのものより、パイロットであるアイナ・サハリンの方に受け継がれていると考えられよう。普通、アプサラスは薄布一枚を身に纏うだけの姿で表されるが、アイナがノーマルスーツの下に下着しか身につけていないのも、これは神話的には当然のことなのかもしれない(笑) 連邦側から見るならば、有能な連邦仕官を誘惑する彼女はラムバーであり、プランローチャであろう。この世ならぬ美しさのためか、アプサラスは人間に狂気をもたらすともされている。なるほど、MAアプサラスに魅了されるあまり狂 気に走ったギニアスを暗示しているといえないこともない。

 アプサラスは北欧神話におけるオーディン神の娘ワルキューレたちのように、またはケルト神話の戦いの3女神のように戦闘で死んだ戦士たちを輝く色の車に乗せてインドラの天国(アマラーヴァティ)へ運ぶとされた。ワルキューレはご存知、ヴァルキリーであり、米空軍のXB−90、某地球統合軍の可変戦闘機、そして某銀河帝国の主力戦闘機の愛称にも採用されており、同様の属性を持つアプサラスが兵器の愛称になったとしても不自然ではない。

 またアプサラスは曲を弾き、歌う天界の踊子であり、仏教においては「楽天」とも称される。そして後には森の木々、特に神聖な樹木ニヤグローダ(バンヤンの木)、アシュヴァッタ(ピッパラ樹・菩提樹)、ウドゥムバラ(憂曇華)に棲むとされるようになり、それらの木々の上か彼女らの演奏するシンバルとリュートの音が聞こえるといわれるようになった。アプサラスは、婚礼の行列に恩恵を与え、賭博の守護神でもあったようだ。

 MAアプサラスの命名者と思われるギニアス的には、かの機体最大のコンセプトである飛行能力を持つ神話上の妖精の名前を開発中のMAの愛称にしたのだと考えられる。インド神話にはその他にガルダとかガンダルヴァといった空を飛ぶ存在がいるが、妹のアイナがテストパイロットをすることを想定していたのなら、それは女である方がふさわしく、そうなるとアプサラスしかない。その点、名は体を表しており、ネーミングセンスは悪くはない。ただ、一年戦争当時のMS・MAというものはザク、グフ、ドム、ゴッグ、ズゴック、アッガイ、ゾック、ビグロ、ザクレロ、ビグ・サビ、ゲルググ、ギャン、ブラウ・ブロというように必ず濁音が入るという共通点がある。そして一見して語源がわかるようなものはなく、ネーミングセンスには疑問符がつく。例外としてはエルメスがあるものの(語源はギリシア神話のヘルメス神であろう。スカーフで有名な同名の某高級ブランドの語源もヘルメスである)、アプサラスやイフリート、ケンプファーのようなズバリの名前は「浮く」ということも指摘しておこう。ギニアスが私的に趣味で命名した名前であるとすれば、問題ないわけではあるが。

 サンライズの制作サイド的には、以上のような点もさることながら、水精アプサラスに伝わる恋物語がネーミングの決め手になったと思われる。それを紹介しよう。

 人間の始祖マヌの娘イダーの子プルーラヴァスはウルヴァシーという名のアプサラスに恋をした。本来、アプサラスはガンダルヴァの妻になる存在なので、この恋には障害が多かったもののウルヴァシーは結婚を承諾した。ただし結婚に際して彼女は「1日に3度私を抱きなさい。しかし私の望まぬ時に床を共にしないでください。またあなたの裸身を見せてはいけません」という条件を申し出た。プルーラヴァスはこの条件を守ることを誓い、2人は結婚。やがてウルヴァシーは身ごもった。一方、下界に降りていって長いことになるウルヴァシーをなんとかして連れ戻そうと、ガンダルヴァたちは一計を案じていた。プルーラヴァスとウルヴァシーが寝ている間、ウルヴァシーが日頃から可愛がっている2匹の羊をガンダルヴァたちは盗み出した。ウルヴァシーはそれに気づき悲鳴を上げたので、プルーラヴァスは飛び起きて裸のまま羊を追うが、それこそガンダルヴァたちの罠であった。ガンダルヴァたちは稲妻を放つと、その光でプルーラヴァスの裸身をウルヴァシーに見せつけたのだ。結婚の際の約束が破られたため、ウルヴァシーはプルーラヴァスのもとを去っていった。

 ここまでを読んだならば、日本人ならばあの有名な昔話「鶴の恩返し」を思い出すのではないだろうか? 人間の夫がタブーを破ったため、人間以外の妻が夫のもとを去らなければならないという主筋はうりふたつである。この「鶴の恩返し」は「鶴女房」とも言われ、新潟県佐渡島に伝わる昔話に題をとった木下順二の戯曲「夕鶴」で広く知られている。民俗学・民話学的には「異類婚姻譚」として分類される。ちなみに異類婚姻譚を広辞苑第4版では「説話類型の一。動物・精霊などと、人間との結婚を主題とする話。異類が男性の場合(蛇聟入り猿聟入りなど)と、女性の場合(鶴女房・蛤女房など)がある」と解説している。またタブーというものは存在しないが、同じ異類婚姻譚として有名なものに「天女の羽衣」がある。ご承知のように、これは天女が水浴びしている間に羽衣を奪い天女を妻(娘)にするが、羽衣を見つけられて天に帰られてしまうというような話である。この天女の羽衣伝説は『丹後風土記』にも同様の話が収録されており、かなりの古さを持つ。しかしながら、もともと日本に「天女」という概念はないと思われることから、天女は仏教と共に大陸経由で日本に伝来したのであろ う。仏教でいうところの天女とは即ち水精アプサラスの事であるから、日本各地に残る天女の羽衣伝説はアプサラスの仕業だと考えることができる。そういうと水精アプサラスというものをもっと身近な存在だと感じてもらえるだろうか。このような異類婚姻譚は世界各地に残されており、ヨーロッパでは「白鳥乙女」、「アザラシ乙女」等の類型説話が残されている。ギリシア神話にもエロスとプシュケの有名な話があり、これはプルーラヴァスとウルヴァシーの話にかなり酷似している(インド人の70%以上を構成するアーリア人とギリシア人等のヨーロッパ諸族とは共通の祖先を持ち、インド・ヨーロッパ語族としてくくられる存在なので、似ているのも当然といえば当然)。ここでは割愛するが、興味を持たれた方はギリシア神話の本を参照されたい。

 ウルヴァシーとプルーラヴァスの話は種族の違う男女の恋愛を描いているわけだが、これは戦争中の地球連邦とジオン公国という違う国家にそれぞれ所属しているシローとアイナの恋愛模様を容易に思わせる。制作サイド的にはこの種族(=所属)を越えた愛というイメージが作中のテーマとシンクロできることから、あのMAを「アプサラス」と命名したのであろう。

 さて「鶴の恩返し」にしろ「天女の羽衣」にしろ、異類婚姻譚は日本においては異族の妻は夫を置いて自分の世界へと戻ってしまうところで話は終わり、悲恋として語られることがほとんどである。これは日本の民間伝承の1つの大きな特徴であると指摘されている。しかしながら世界的に見ると、異類婚姻譚は夫(妻)と一度は別れるものの、あきらめきれない夫(妻)が相手を探しに出かけ、幾多の苦難を乗り越えて最後は再び結ばれるという形で終わるものが多い。先のエロスとプシュケの話もそうであるし、ウルヴァシーとプルーラヴァスの話にもちゃんとした後日談がある。

 ウルヴァシーを失ったプルーラヴァスは嘆き悲しむが、妻を探す旅に出る。その最中、とある湖でアプサラスたちが白鳥の姿で水浴びをしているのを見つけた。その中に捜し求めた妻のウルヴァシーがいたのだった。ウルヴァシーは夫を見るなり隠れようとするが、仲間のアプサラスたちのすすめでプルーラヴァスの前に人間の姿で現れた。プルーラヴァスは復縁を願い出るが、ウルヴァシーは約束を破ったあなたが悪い、と取り合わない。プルーラヴァスは復縁してくれないのならば首をつって死に、狼の餌になろうとまで言い出す。さすがのウルヴァシーもここで折れ、妥協案を提出した。それは1年に1度、この湖で会おうというものだった。翌年、プルーラヴァスが湖に出かけると、そこには黄金の宮殿が建てられており、その中からプルーラヴァスの息子を抱いたウルヴァシーが現れ、息子をプルーラヴァスに渡した。こうして1年に1度だけの夫婦生活が続き、5年のあいだに5人の子供が生まれた。このプルーラヴァスの生活をガンダルヴァたちは哀れに思い、プルーラヴァスにたった1つだけ願いをかなえてやろうと言い出した。困ったプルーラヴァスは妻に相談すると、ウルヴァシーは、ガ ンダルヴァにしてくれと言いなさいとプルーラヴァスに知恵をつける。プルーラヴァスはそのとおりにガンダルヴァたちに言うと、ガンダルヴァたちはその方法をプルーラヴァスに教え、めでたくガンダルヴァになったプルーラヴァスは妻と子供たちと共に幸せに暮らしたという。

 ウルヴァシーとプルーラヴァスの話と鶴女房の話から、しみじみとした余韻の残る別れに美学を見出す日本人と、恋愛の成就にこそ美学を見出すインド・ヨーロッパ人との感覚的な違いが非常に明確にわかり、面白い。狩猟民として獲物を最後まで追い求めるインド・ヨーロッパ人と、稲作農耕民として天災ならばしょうがないとあきらめてしまう日本人との違いだろうか。文化論的に興味深いテーマである。それはさておき、『機動戦士ガンダム/第08MS小隊』は未だ完結を迎えていないため、シローとアイナの恋の行方というものも不明なわけだが、このように恋愛成就でも悲恋でも「アプサラス」の名を裏切ることはない。その点、便利な名称である。ただ、『機動戦士ガンダム/第08MS小隊』をシロー・アマダという若者が数々の苦難を乗り越えて異族のアイナ・サハリンという乙女を手に入れる昔話(=ファンタジー)として見るのならば(見られることから)、終わりはインド・ヨーロッパ的なハッピーエンドであるような気がしてならない。


語源集へもどる