■紋章のこと(ジオン編)


 近年、俗に言う「ジオンマーク」「連邦マーク」というものについて、無配慮な彩色変更やレイアウト変更が目立つ。また、これらを「紋章」と呼ぶ向きもあるようだが、単なる「印」と「紋章」は厳然として異なる。そもそも、「紋章」というものは我が国でいう「家紋」と「印鑑・花押」を足したような概念であり、家紋と違って親兄弟であっても存命中に同じ紋章を使うことは許されない。ここでは紋章というものについての我々の認識をもう一度確認しておこう。

 紋章のなかでも最もシンプルな形態は盾状の図形に図柄を画き込んだもので、英語では「コート・オブ・アームズ」(Coat of arms)、フランス語では「アルメ」(Armes)、ドイツ語では「ワッペン」(Wappen)と呼ぶ。その図形から、また名称からもわかるように、本来は全身を甲冑で武装した際の個人識別のために、比較的面積が広く平板な「盾」を塗り分けたものである。その性格上、たとえ親子兄弟であっても全く同じ図柄を用いることはない。
 また、こうした基本的な紋章(Coat of arms)に、クレスト(Crest)と呼ばれる兜飾り、位を表す冠であるクラウン(Crown)、同様のヘルメット(Helmet)、紋章盾を支えるサポーター(Supporter)、また、盾を置く台としてコンパートメント(Compartment)、家訓や座右の銘を刻んだモットー(Motto)などが添えられ、また、紋章のバックに位階を表す礼服ローブ・オブ・エステート(Robe of estate)や貴人用の野外天幕であるパヴィリオン(Pavilion)を配したものもあるが、これらは英語では「アチーヴメント」(Heraldic achievement)、フランス語では「アーモリエ」(Armories)、ドイツ語では「グロス・ワッペン」(Gross Wappen)と呼ばれ区別されている。しかし、UC世界ではこうしたアチーヴメントが登場したことはなく、今回は省かせていただく。
 先述したとおり、完全武装の騎士がその個人識別のために生み出したシステムが紋章であり、当初はかなり自由なものであった。しかし、貴族社会の中で出自や身分を表すために様々な法則が加味され、自由度という点では大幅に制限されることになった。しかし、逆に法則が確立したことによって、法則どおりに図案を変化させていけば、ほぼ無限にヴァリエーションを増やすことも可能になったのである。

 普通、親兄弟でも同じ紋章を使わないと書いたが、それでは全く異なる紋章を使用するのかというと、そうではない。出自や身分を表す必要から、同じ一族の者はそれが分かる工夫を施して紋章を作成していくのである。これを「ディファレンシング」(Differencing)と呼ぶ。ディファレンシングには紋章の彩色を変更したり、ボーデュア(Bordure)と呼ばれる縁取りや「レイブル」(Label)、「ケイデンシー・マーク」(Cadency mark)と呼ばれる特定のマークを加えるなど様々な方法があるが、ここでは詳述しない。だが、彩色を変更するものに比べて、一部の変更に留め置くボーデュワやレイブル、ケイデンシー・マークが優れているのは、先代の当主が死亡して長男が家督を継いだ場合等に、この記号を外すだけで簡単に当主の紋章が受け継がれること、また、ケイデンシー・マークのようにある程度コンセンサスを得ている記号の場合、その記号によって長男、次男、といった判別が容易に行えるといった点が挙げられる。

 さて、UC世界に係る問題としてここでは彩色とマーシャリングについて触れてみたい。
 紋章に使用される色は、通常、「金属色」(Metals)、「原色」(Colours)、それに「毛皮模様」(Furs)の三つに大別される。「金属色」とは「金(オー)」(Or)、「銀(アルジャント)」(Argent)の2色で、黄と白で表されることもある。「原色」は「赤(ギュールズ)」(Gules)、「青(アザー)」(Azure)、「黒(セイブル)」(Sable)、「緑(ヴァート)」(Vert)、「紫(パーピュア)」(Purpure)、「深紅(サングイン)」(Sanguine)、そして希に「橙(テニー)」(Tenny)が使われるのみで、これらの中間色やパステル・カラーは一切認められていない。「毛皮模様」は特殊なもので「アーミン」(Ermine)、「ヴェア」(Vair)、「ポウタント」(Potent)等があるが、めったに使われない。紋章のカラフルなイメージとは裏腹に、通常使用できる色は8色(橙と毛皮は希)と少ないことがわかる。これは紋章の識別性を高めるためであり、戦場で一瞥しただけで相手を判別するには、あまり色数が多くては困るからである。さらに、これらの配色にも厳しい取り決めがあり、「金属色」 の上に「金属色」を重ねること、「原色」の上に「原色」を重ねることは禁止されている。これは「地」と「紋」の明度差を確保するためのもので、幾つかの例外を除いて厳重に守られている。

 初期の紋章が個人の識別のために発生したことは既に述べたが、貴族社会において、それらは権威や誇りを表すものへと変質し、婚姻や領土の拡張にともなって図柄に変更を加える方法が考え出された。これが「マーシャリング」(Marshalling)と呼ばれるものである。マーシャリングの方法は多種多様であり、ここですべてを説明するわけにはいかないが、2、3の例を挙げて基本を説明しよう。
 まず最も単純で基本となるのが「インペイルメント」(Impalement)と、「クォータリング」(Quartering)である。「インペイルメント」とは盾形を左右に2分割し、この左右に夫と妻等の紋章を配置するものであり、基本中の基本である。このとき、向かって左側を「デキスター」(Dexter)、右側を「シニスター」(Sinister)と呼び、デキスター側が優位となる。これは人間が右利きであることに端を発し、騎士が武装したとき、右手に剣を持つことから右側が左側に対して優位に立つという発想である。右側が優位なのに紋章で左が優先されるのは、紋章が本来盾であることが原因である。つまり、左手に盾、右手に剣を構えた場合、剣があるのは盾に正対して(つまり相手側からみて)左側にあたり、図形としての紋章もそれを踏襲したからに他ならない。故に、夫の紋章が向かって左、デキスターに配され、右側(シニスター)には妻(女子相続人)の紋章が配されるのである。ではもともとインペイルメントされた紋章を持つものが、さらに新たな紋章を加えようとするときにはどうするのか。この問題に答えたのが「クォータリング」である。「クォー タリング」とはその名のとおり、盾形を上下左右に4分割し、それぞれに紋章を配置したものである。この場合、左上をデキスター・チーフ(Dexter chief)、右上をシニスター・チーフ(Sinister chief)、左下をデキスター・ベース(Dexter base)、右下をシニスター・ベース(Sinister base)と呼び、この順に優位とされる。これは4分割した例であるが、分割は6分割、8分割と延々と増やすことが可能である。これでは偶数個の紋章しか配置できないように思われるが、例えば4分割の盾に3種の紋章を配置する場合にはデキスター・チーフからA、B、Cと配置し、最後のシニスター・ベースには再びAを配することによってバランスを調節することが可能である。こうしたマーシャリングはUC時代にはあまり例がないが、クロスボーン・バンガードのMS試験部隊「ダークタイガー」の部隊マーク等に「クォータリー」が確認できる。

 これらの配色・構成の法則は狭義の紋章にとどまらず、国旗や軍旗、徽章の類にも用いられており、一定以上の教養があるものにとって、この法則を破ることは「恥」以外のなにものでもない。これは身分社会の中にあってのステイタスが、身分制が廃止されるにともなってかえって市民の間に普及していった事実が示すとおり、自己の正当性を主張するもの、自己の出自を誇りにするものにとって、なくてはならない心の拠り所であったからに他ならない。以下は、UC世界における幾つかの徽章を例に、紋章学の方法論を用いて考察を加えてみたい。
 クロスボーン・バンガードの徽章を紋章学に則って解説すると、ギュールズ(赤)のフィールド(地)にオーディナリーはオー(金)の「ソールタイア・アーンクレ」(Saltire ancree)、これに武力を表す「剣」をチャージ(charge)し、これにやはりオーの「ボーデュア(縁取り)」を加えたものとなる。ただし、「アーンクレ」は錨の形を模したものであるとされ、この場合はクロス・ボーンの名が示すように人間の大腿骨を現したものと見るべきであろう。その場合でも、「オーディナリー」(Ordinary)として「ソールタイア(X字型十字)」の範疇に入れるべきものであって、決して具象図形ではない。なお、「オーディナリー」とは「クロス(十字)」、「シェブラン(山形)」、「ベンド(斜め帯)」等の基本的な抽象図形のことである。
 クロスボーン・バンガードの徽章には、他にフィールド(地)にギュールズ(赤)ではなくヴァート(緑)やセイブル(黒)を使用したものもあり、なんらかの意味が込められているようであるが、詳細は不明である。こうしたヴァート地の徽章はXM−07S「ビギナ・ギナ(ベラ・ロナスペシャル)」、XM−03「エビル・S」に、セイブル地の徽章は「ダークタイガー隊」のXM−07G「ビギナ・ゼラ」等に確認されており、今後の研究によってはクロスボーン・バンガードの内実に踏み込むような成果も期待されよう。

 また、ザンスカール帝国軍の国籍識別標識は、国旗と同じくギュールズ(赤)のフィールド(地)にザンスカール(Zanscale)の頭文字「Z」をオー(金)でチャージし、同色の「オール(Orle)」(縁取りの一種)を加えたものである。これにセイブル(黒)のモットー「Zanscale」を書いたオー(金)の「スクロール(巻物)」(Scroll)とアザー(青)による柏葉のコンパートメントを加えたものが実際に使用されている。つまり、国旗にスクロールとコンパートメントを足したものを盾型に収め、実戦部隊において国籍標識として使用しているのである。なお、コンパートメント、スクロール等には配色のバリエーションが存在するが、基本は同じである。

 それでは、本題の「ジオンマーク」とは何なのか、最後にこの問題に触れて締めくくりたい。そもそも、「ジオン」とは何を指してそう呼ぶのか。以下にジオンを称する政体を挙げてみた。

【ジオン共和国】(UC0062〜0069)
首相ジオン・ズム・ダイクン(在位UC0062〜0068)
首相デギン・ソド・ザビ(在位UC0068〜0069)
【ジオン共和国・第2共和制】(UC0080〜UC0088)
首相ダルシア・バハロ(在位UC0080〜?)
【ジオン共和国・第3共和制】(UC0089〜UC0100)

【ジオン公国】(UC0069〜)
ザビ朝(UC0069〜?)
デギン・ソド・ザビ(UC0069〜0079)
 首相ダルシア・バハロ
※ ギレン・ザビ(UC0079)
 首相ダルシア・バハロ

ミネバ・ラオ・ザビ(アクシズ朝)(UC0080〜?)
 摂政マハラジャ・カーン(在位0080〜0083)
 摂政ハマーン・カーン(0083〜0089)
※摂政キャスバル・レム・ダイクン?(UC0089〜?)

トト朝(UC0088〜0089)
グレミー・トト(UC0088〜0089)

ダイクン朝(スウィートウォーター朝)(UC0092〜0093)
キャスバル・レム・ダイクン(UC0092〜0093)

 これをふまえて考察してみよう。先述したとおり、理屈から考えて「ザビ家の紋章」などというものは存在しない。それでは、あの有名なマークはどう扱うべきなのか。上記のうち、問題のマークを使用しているのは「ザビ朝(アクシズ朝)ジオン公国」と「トト朝ジオン公国」のみであり、「トト朝」も血縁的にはザビ家に連なるものであることから考えて、ほぼザビ家にまつわるマークであることがわかる。さらに、世代を越えて受け継がれ、戦場でのシンボルとして使用される点から考えて、あれは「ザビ家のバッジ(徽章)」と解釈するしかない。バッジ(Badge)とは軍旗(Standard)等に付ける「印」であり、戦場での旗差物的な扱いをされるものである。有名な例では旧世紀1455年に始まるイングランドの内戦が挙げられる。両軍の旗に描かれたバッジがランカスター家の「赤薔薇」、ヨーク家の「白薔薇」であったことから後年「薔薇戦争」と呼ばれるようになるこの内戦は、結局ランカスター家のヘンリー・チューダーがヘンリー7世として即位し、ヨーク家のエリザベスを王妃に迎えたことによって和解が成立する。この和解によって生まれた新たなバッジこそ、イング ランド王室に現在まで伝わる「チューダー・ローズ」と呼ばれる赤薔薇と白薔薇を組み合わせたバッジである。このように、ある家系に代々伝わる徽章はバッジとして扱うのが適当である。問題のマークは「ザビ家のバッジであり、公国制下では国旗、軍旗にも使用された」と考えるのが妥当であろう。そう解釈することによって、フィールド(地)にギュールズ(赤)、アルジャント(銀=白)、またギュールズ(赤)地にアルジャント(銀=白)のプレーン・クロス(Plain cross)等、さまざまなパターンがあることも許容される。余談になるが、このギュールズ地にアルジャントのプレーン・クロスはセント・ジョンズ・クロス(St.John's cross)と呼ばれ、聖ヨハネ騎士団(後のマルタ騎士団)総長の紋章にも使用された由緒ある図柄である。また、バッジ自体の色がオー(金=黄)とセイブル(黒)に大別されるのも、何らかの意味付けというよりは「地」の配色に合わせて彩色規定違反を避けるためであると思われる。その場合、アルジャント(銀=白)地にオー(金=黄)のものには問題があるが、これに関してはこれからの研究に期待するしかあるまい。また、UC 0088年のトト派の反乱に際して、彼の軍もこのバッジを使用していたが、その際カーン派のバッジに配慮してなんらかのディファレンシングを施したかどうかについては、いまだ明確な結論は導き出されていない。どちらにしても、これは飽くまで「ザビ家のバッジ」であって紋章ではないことを明記しておく。

 それではUC世界に「紋章」というものは存在しないのだろうか。あらゆる事象を総合して考えた場合、おそらく存在はしているものと思われる。後年のコスモ・バビロニア王国、ザンスカール帝国等もそれぞれのバッジやこれを図案化した軍旗を備えていた。また、各パイロットのパーソナル・マークの類にも紋章学の法則に則った正確な表現を用いたものがあり、UC時代にもこうした知識がかなり普遍的に広まっていたことが推察されるからである。それはザビ家、サハリン家、マス家、ロナ家をはじめとする各名門家においても当然各個人に紋章があったという結論を導くことになるのである。


考察編へもどる