ム問答のこと


 近頃世間を騒がせているドム系MSですが、折檻個人の見解はつまるところ下記の通りです。
 当初は某掲示板用の書き込みとして描き始めたのですが、いかんせん斯様な分量になってしまい、ここにアップさせて頂いた次第です。その関係でいつもの「だ。である。」調ではなく「です。ます。」調となっております。表現力が未熟なせいでしょうか?どうも説得力に乏しいので個人的には今一つ得意な文体ではないのですが、もし時間に余裕がありましたら読んでみてください。

そもそも、MS−09系MSは
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YMS−09(地)
MS−09B(地)
MS−09D(地)
MS−09F(地)
MS−09G(地)
MS−09H(地)
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MS−09R(RII)(宇)
MS−09S(宇)
MS−10(?)
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に大別できると思います。

<MS−09D>
 このうちD型は特殊装備というかレトロフィット型であって、工場で生産されたモデルではありません。要するに、熱帯地用改造キットを使用して現地で改修した機体であって、同様な性格の機体でありながら、きちんと製造ラインが引かれた(とおぼしき)「Trop」とはニュアンスが異なります。いわば便宜上の分類法であって、正式に「D型」という型が製造されたわけではないと言えます。

<MS−09B/R>
 さて、最初の量産型であるB型(1/144「MS−09H解説書」参照)は純粋な地上型であり、この機体を宇宙用に改設計した機体がR型だと思われます。両者の具体的な関係は不明ですが、外形の類似や登場時期からいっておそらく間違いないところではないでしょうか。

<MS−09F/S>
 次に、B/R型以降に地上用の発展型として設計されたのが(間に何か挟まる可能性はありますが)F型ということになると思います。このF型ですが、一から設計されたものという記述はどこにもありません。R型がB型の宇宙用であるように、ある宇宙用機の地上型がF型であっても良いわけです。では、その宇宙用機とは何か?と考えた場合、これこそがMS−09S「ドワス」ではないかと思うのです。

 例としてはフォッケヴルフFw190系戦闘機の発展経路が参考になろうかと思います。そもそも、Fw190戦闘機は空冷エンジン(低空向き)を装備した低空用の戦闘機として「A型」が計画・製造されましたが、やがてその高高度戦闘機型として「D型」が開発されます。このD型では高空性能の良い液例エンジンに首をすげ替えるという荒業も披露しています。で、この大変身したD型を高空用にブラッシュアップし、徹底的に煮詰めた決定版としてTa152シリーズが計画されます。これは型式記号が変更されてますが、純粋な発展型です。そして実用化されたTa152は「H型」として製造を開始します。ところが、今度はこの高性能戦闘機を低空用に利用できないかと虫のいいことを考え付き、実際に試作したのが低空用Ta152である「C型」です。つまり

Fw190A(低空用)
   改設計
Fw190D(高空用)
   発展
Ta152H(高空用)
   改設計
Ta152C(低空用)

という図式です。必ずしも低空用から高空用が派生したり、その逆でないことに注目してください。

 また、「S型」と「F型」の登場時期が問題になっているようですが、ベース機の方が改造機より先に実用化されるとは限りません。有名な例でメッサーシュミットBf109G−10とK−4の関係が挙げられます。それまでのGシリーズに対して、DB605L(高性能)エンジンを搭載した決定版として完成するハズだったKシリーズは、問題のDB605Lが実用化できず、完成はずっと先に延びてしまうことは明白でした。戦況はますます危うくなり、一日でも早く高性能機の欲しい空軍は、このK型登場までの「つなぎ」として、既存のGシリーズにDB605Dという「けっこう高性能な」エンジンを搭載してお茶を濁そうとします。ところがです、この既存のエンジンをちょっといじっただけのDB605Dエンジンの実用化に手間取り、量産化はずっと先になりそうな気配が漂ってきました。結果、さらに「つなぎ」として旧式のBf109G−6にDB605AM(そこそこ高性能)エンジンを搭載したG−14型を生産して間に合わせることにします。これが1944年8月のことです。結局、ピンチヒッターであるG−10型が就役したのは1944年10月のことであり、自分が代わりになるはずのK−4型(9月 就役)よりも、さらに1月も遅れての完成でした。といっても、K−4型はいわばインチキで、実際にはDB605Lは搭載せず、G−10と同じDB605Dエンジンを搭載していたのですが…(^^;)

 MS−09SとMS−09Fの関係も、このように解釈してはどうでしょうか?「MS−09系の決定版」として計画されたS型は高性能ではあったものの、色々な面で実験機的性格の強い、ちょっとベンチャーな機体だったのでしょう。
 当然ながら高性能機が計画されれば、その基本性能を当て込んでさまざまなバリエーション機が計画されます。当時は再び主戦場が宇宙へ移るであろうことが、ある程度予測されていた時期ですから、MS開発のメインは宇宙用となっていたことでしょう。もちろんそのためのS型だったわけです。

 そもそも、今まではまず地上用を開発し、それを改設計して宇宙用機を製造していたのですが、MS−09Rは基本が地上用なだけに、宇宙専用MSとしては不満な点があったのも事実です。こうした点を徹底的に洗い直した機体として計画されたS型だったわけですが、やはりというか当然というか、色々と技術的な壁にぶつかることになります。そこで、MS−09Sの完成を待って開発しようとしていた地上用機の開発を平行作業で行うことにしたのではないでしょうか? これが「S型仕様準拠の地上機」F型です。S型の基本フレームは流用しましたが、開発が難航していた部分に関しては従来機のそれを流用したため開発は順調に進み、11月中旬には試作機が完成します。もちろん、S型のフレームを使っているのがこの機体の「ミソ」であり、S型用高性能部品が安定供給されるようになれば、順次これに置き換えていけるようになっていたと思います。でなければ、逆に「ドワス」を名乗るのは不自然です。

 よく言われる「ドワスデザート/フュンフのカブリ問題」ですが、これは「カブってるようでカブってない」んじゃないか?と考えています。つまり同一の機体ではないか?と。要するに「名称問題」と考えたいわけです。ここでの考察で「ドワス・デザート」とか「フュンフ」といったF型にまつわる「名称」を出さなかったのはもちろん故意で、名称を出すことによって、自分とちがう見解の人が混乱するのを多少でも押さえられたら、と思ってのことです。

 さて、またまたドイツ軍でいささか気が引けるのですが、He162戦闘機の正式な名称は「フォルクスイェーガー(国民戦闘機)」ですが、日本では90%の人が「ザラマンダー(火竜)」と呼んでいます。どうも世界的にそうみたいです。これは軍部が発表した公式な「名称」と兵士や開発者など現場で呼ばれていた「愛称」の普及度が逆転した好例でして、他にもMe262のそれは「シュワルベ(燕)」ですが、皆「トゥルボ(ターボジェット)」と呼んでいたようです。日本の場合はちょっと事情が複雑で、日本は1944年まで機体に「愛称」を与えていませんでした。「それでは士気に関わる」ということで、1944年になって三式戦闘機「飛燕」、四式戦闘機「疾風」などという愛称が国民に公表されました。もちろん、この時初めて決めた名前です。では、それ以前はどんな名前で呼ばれていたのでしょうか? 実際に三式戦闘機「飛燕」に関わっていた人の談話では、愛称の「飛燕」でも正式名称の「三式」でもなく、開発ナンバー「キ61」から「ロクイチ」と呼んでいたそうです。MS−09Fも、こうした観点から解釈すれば、おそらく「フュンフ」の方は「愛称」に過ぎないの だと思います。、なぜなら「funf」とは単に「5」という意味のドイツ語の数詞であり、「特に何の意味もない語」だからです。普通、公式に発表される名称に、こんな散文的な名称は付けませんよね? おそらく、YMS−09から起算し、B、D、R、と数えて5番目(あるいはBから起算し、D、R、S、と数えて)のサブタイプだったためにこう呼ばれたのではないでしょうか? もちろんF/Tropも「ドム・トローペン」が正式名称のはずがありません。「トローペン」は「熱帯地仕様」の意であり、通常のF型に熱帯地用キットを装着すれば、それだけで「Trop」の完成だからです。要するに、B型だろうがG型だろうが熱帯用キットを装着しさえすれば、全て「トローペン」なのです。「MS−09B/Trop」「MS−09G/Trop」など、おそらく存在していると考える方が自然です。ですから「デザート」も「トローペン」も英語かドイツ語かの違いであって、既存の型の「熱帯地仕様」という「意味付け」以上の意味はないのです。
 また、「ドワス・デザート」などという説明口調のネーミングも、軍部が付けた名前としては著しく「キレ」を欠きます。「フュンフ」が兵士たちの間で呼ばれた愛称なのに対し、この「ドワス・デザート」は暫定的に技術者の間で呼ばれたネーミングだったのではないでしょうか? 

<MS−09RII>
 さて、「少々の遅れ」とタカを括っていた軍部は、あまりの開発難航ぶりに難色を示し、打開策として既存のR型フレームを利用した暫定型を生産するように指示します。この機体の仕様は「一部実用化に成功しているS型の部品を使用し、且つ統一コクピットシステム等の第二期生産MS用のコンポーネントを組み込む」というものだったと推測されます。この仕様に則って開発されたのが「RII」であり、新しい型式番号が与えられなかったのは、既に「S型」は「ドワス」に与えられてしまっており、基本フレームもR型でしたから当然の処置と言えましょう。しかし、結局のところ、ピンチヒッター(のハズ)の「RII」の登場は12月にずれ込んでしまいます。軍部の欲張った要求が実用化の足を引っ張ったのでしょう。

<MS−09G/H>
 ロンメル専用のH型がどの程度までオリジナルのH型を再現しているのかは判断に困るところですが、少なくともG型よりは高性能の機体だったことは確かでしょう。このG/Hという機体も位置づけの難しいシリーズですが、まず形態的にB/R型のフレームを使った機体と考えて良いと思われます。問題は「何故(S型ベースの)F型以降の型式番号でB型ベースの機体が生産されたのか?」という一語に集約されます。基本性能は間違いなくS型フレームの方が勝っており、もしそうでなければF型の存在意義自体がなくなるのですから。それでも敢えてG/H型が製造された理由を探せば、まず第一に開発経路の問題が挙げられると思います。

 問題のF型は基本フレームからして新型を基準にしていますが、やはり「生産設備が整わない」とか、「部品が調達が不安定」といった事態が当然予測されます。こうした海のものとも山のものともつかない機体に地上軍の運命を委ねるわけにもいかず、こうした面で安心感のあるB型にこれら新シリーズのコンセプトが部分移植できないだろうか? つまりB型フレームのFタイプは生産できないだろうか、という意図が開発指示に見られるのではないでしょうか。宇宙におけるRIIと同様のニュアンスだと考えれば理解しやすいでしょう。もちろん、生産はキャリフォルニア基地など、地上の施設で行っていたものと思われます。宇宙機の場合には指摘したような問題点もあって新型式番号を与えられなかったのでしょうが、地上機の方では次々に番号を与えてしまっています。一つの可能性として、型式番号を与える部署は宇宙と地上など、開発拠点ごとに違ったことも考えられます。もしそうであれば、混迷するMS−16問題にも解決の糸口が見出せそうな気もしますが、それは本稿の趣旨ではありませんので、脱線は最小限度にとどめたいと思います。

 さて、G/Hのニュアンスとして「B型にF/S型のコンセプトを導入」としましたが、実際にそうであったかは疑わしいところです。実際にはMS−10のコンセプトの一部が持ち込まれたのではないでしょうか? H型を例に挙げれば、股間がスカートより突出する点などはMS−10からMS−09Hに受け継がれたように見えますし、背部ノズルの推力中心線もF型のような「下向き」ではなく、どちらかというとMS−10のような「後ろ向き」な設計になっています。もちろん、こうした改修はH型に特徴的に見られるものであり、G型には見られない特徴でもあります。そもそも、G型自体はそれほどB型と異なるものではなく、単なるバージョンアップモデルに過ぎません。もちろん、これとても、本来の「(地上用)ドワッジ」が目指したのは後のH型であり、G型はそれまでの「つなぎ」にすぎない機体(メッサーでいうK−4型)だったと解釈すれば不自然ではありません。

<MS−10>
 またMS−10ですが、「フィールドモーター駆動のB/R型」計画というものを想定することによって、どうにか解釈可能ではないでしょうか? 毎度毎度ドイツ軍で恐縮ですが、有名な4号戦車に「流体接手式トランスミッション試作型」というのがあります。4号戦車にとどまらず、当時のドイツ戦車はことごとく機械式の変速機構を採用していましたから、これなどはそれまでの常識を根本から覆すことになる大変ベンチャーな試みでした。どうも上手くいかなかったようですが、現在でもアメリカのアバディーン戦車展示場でこの試作車両を見ることができます。トランスミッション系を交換しただけではなく、駆動輪を前部から後部に改めるなど改修は多岐に渡り、最終的には車体後部の形状はベースとなったH型とは全く異なっています。

 MS−10に関わらず、ペズン計画の機体は「なにがしかの問題意識」をもって立案された機体だと考えられ、実際、アクトザクなどもその「性能」よりは「マグネット・コーティング」というベンチャーな技術の試験的意味合いでこそ評価される機体でありましょう。そのMS−11ですが、この機体に関しては「マグネット・コーティング」は枕詞のように常にセットで語られてきました。もちろん、マグネット・コーティング=フィールドモーターとは限りませんが(要は器械的摩擦ロスを最小限に押さえる技術でしかない)、状況から察するにフィールドモーター式とは、やはり相性が良いようです。

 さて、ペズン計画が一社特約だったという証拠はありませんが、技術的にはそれぞれ多少の交換はあったと見るべきでしょう。ここで注目したいのはMS−10とMS−11の間接部分の類似性です。特に、コクピットブロックを含む腹部と足首部はスケールこそ異なるのでしょうが、両者ともに基本設計はまったく同じと言っても過言ではありません。マグネットコーティングを施したMS−11と間接部分に同じシステムを採用しているMS−10が、少なくともフィールドモーター駆動ではないと考える方にこそ無理があるのではないでしょうか? もちろん、研究者によっては「もともと、MS−09系はフィールドモーターである」との見解を持っておられる方もいらっしゃると思います。ですが、ここでは敢えてそこまで踏み込みません。MS−10がフィールドモーター駆動ではないか?と提案するにとどめておきます。

 このMS−10「ドワッジ」ですが、B/R系フレームかF/S系フレームか?と考えた場合、実際はどちらでも問題はないと思います。「R型から発展した」という記述はあちこちで見られますが、宇宙機(両用機含む)は全てR型の技術的系譜を引いているといっても過言ではないと思いますので、S型ベースであろうと「R型の発展型」には違いありません。問題はなぜこのような機体がわざわざ製造されたか?ですが、それは先述した「フィールドモーター駆動B/R型試作機」という定義に全て集約されます。おそらく、将来的に全軍にマグネットコーティングを導入していこうとする軍部の提言を受けて製作された機体であり、それも一種の技術実証試験機として可能なかぎり既存のコンポーネントを流用して完成させたものだと思われます。このため、MS−09R(ないしB)のフレームを流用して製作されたと考えられ、これが「リックドムの発展型」とする説の根拠になっていると思われます。しかし、特に宇宙専用ということはなく、おそらく地上でも運用できたと思います。MS−10の記事中に現れる「局地戦用」というキャッチフレーズが問題ですが、ジオン軍においては「局地 戦」の定義は曖昧であり、単に航続距離・継戦時間が短いだけの機体であっても「局地戦用」とされてしまう場合があります。R型の航続距離・継戦時間は地上型の1/4程度になったとする説(「GUNDAM CENTURY」参照)もあり、熱核(ジェット)ロケット装備を持つ機体であれば、どのような機体でも「局地戦用MS」に相当するといって過言ではないでしょう。

 実際、この機体(MS−10技術実証試験機)では実質的な戦闘力や継戦時間は問題にされず、専らフィールドモーター駆動のテストデータが採集できれば良かったと思われます。もちろんそれだけに留まるものではなく、結果が良好ならばこのコンセプトを推し進めた生産原型機を続いて製作し、新型フレームや部品を使用した量産型も視野に入れていたことでしょう。しかし、特に方針も決定していない時点で最新鋭機のコンポーネントを流用して開発することは得策ではなく、現NASAのテスト機もよほど独創的な機体でないかぎり、ありふれた機体を流用して製作されています。要は「将来有望な駆動方法」の実証試験機でしかなかったわけです。軍部が当時の戦況を鑑み、ジオン軍全体の行く末を見極めて「全軍のフィールドモーター化」にゴーサインを出すような事態になれば量産されたのかもしれないですが、当時の状況では無理だったのではないかと思います。ただ、一部の資料でMS−11の量産計画が指摘されており、「フィールドモーター駆動への切り替え」がまったくもって否定されていたわけではないことも指摘しておきます。

 MS−10とMS−09G/H型の名称問題ですが、そもそも一種のテクニカル・デモンストレーターであるMS−10には直系の量産モデルは存在しません。敢えてMS−10の設計思想を受け継いだ機体を探せば、それはやはりG/H型だったのではないでしょうか? そのため、ドム系の発展型に与えられるはずであった「ドワッジ」の名称は、直系ではないがG/H型へ引き継がれていったのだと思われます。

<型式番号>
 さて、それでは型式番号ですが、まず、Bから始まる地上機シリーズとRから始まる宇宙機シリーズが想定できます。単に「(熱核)ロケット型」だから「R型」というのではなく、おそらくですが、地上型がこの後ある程度発展しても宇宙型の型式番号とダブらないように、宇宙用では敢えて「若い型番号」を避けたのではないでしょうか。ですから、型式番号の前後はQ以前とR以降に分けて考える必要があります。結果的に分けて考えることで、開発経路もハッキリしてきます。曰く「B>F>G>H」と「R>S」という不可逆の流れです。

 さらに型式番号の序列にまで考察を加えてみましょう。そもそも、最初の量産型が「B型」である理由ですが、これはおそらくMS−14の例と同様に、YMS−09が試験をパスし、正式採用になった段階でMS−09Aと名称を改めたのではないでしょうか。もちろんMS−09Aという型が改めて製造されたわけではなく、昨日まで「YMS−09」と呼んでいた試作機を「MS−09A」と呼び変えただけだのことだと思います。そして、真の量産型が、外形を若干改修して生産されたMS−09Bであり、黒い三連星機もこの機体でしょう。これに続くであろう「C型」はなんらかの理由でキャンセルされたか、実際に製造されていたとしても少数にとどまったものと思われます。これに連なる「D型」は上記のMS−09A・2号機を使用してテストされた熱帯地用装備の機体を指してこう呼称することになったようです。正式な名称ではないですが、無用の混乱を避けるためか、敢えて型式番号の重複するような機体は製作されていないようです。

 「E型」は存在したのかしないのか判然としませんが、ジオン軍においては「E」はMSの重要な役割である偵察任務専用機に与えられることが通例となっており、MS−09系でもこの通例は適用されたものと思われます。当時実際に製造されていたのか、後に製造する意志があったのか、いずれにしろ、現在までに「E型」と呼ばれる機体は確認されていません。問題の「F型」は、一度宇宙用に改設計された「R型」の発展モデル「S型」の地上用簡易改修機であり、この原型機はそれほど地上用に特化されていなかったようです。単に「S型」から革新的な装備を除外しただけの機体であり、戦艦「グワデン」の艦長エギーユ・デラーズ大佐に引渡された機体が、この簡易S型(F型原型機)だったとする説もあります。

 続く「G型」は新型モデルF/S系の完成を待たず、既存のB/R型をベースに製造された強化型で、現場サイドの要求を容れて航続距離の延長と固定武装の強化を図ったモデルです。よく、熱核ジェットは地球大気を利用して推進力を発生させるため、推進剤は必要としないように誤解されていますが、MS−09用の熱核ジェットは液体水素を媒体としたもので、実際には大量のプロペラントを必要とします。構造的には高温(10万℃近い)の炉心にこの液体水素を送り込み、1万℃前後の高温プラズマ状態に変え、これを媒体として空気に運動エネルギーを与えてジェット噴射させる方式を採用しています(「GUNDAM CENTURY」参照)。結果論ですが、これが幸いしてMS−R09への改造が楽に行えたわけです。続く「H型」は純粋にこの発展型であり、両肩に大型ブースターを装着したのが目立つ特徴です。なお、G/H型は合わせて88機が製造されたと言われています(1/144「MS−09H解説書」参照)。

 宇宙用の系譜はB型を熱核ロケット化した「R型」に始まります。資料によってはMS−R09としておりますが、正式にはMS−09Rです。「MS−R09」はテスト時にツィマッド社が独自に与えていたコードかなにかでしょう。正式採用とともにジオン軍の命名法則に則って「MS−09R」として就役しているはずです。ちなみに、サブタイプ表記(R等)は数字(−09)の次に、カテゴリー表記(水中用の「M」、ニュータイプ用の「N」等)はMS・MAの次に、状態接頭記号(YMSとかの「Y」等)はMS・MAの前に、が基本です。テスト期間中の、いわば正式採用以前の機体には例外的に「MAX−」等の型式もありますが、いずれも正式のものではないと思われます。

 「R型」は確かにB型の宇宙用ではありましたが、B型が地上で築いた圧倒的なアドバンテージを宇宙で確立するほどの性能は発揮できませんでした。「GUNDAM CENTURY」等の資料にもそのような記述が見られます。そこで計画されたのが、MS−09系の決定版である「S型」、通称「ドワス」です。この機体では宇宙空間での機動性を極端に偏重した設計となっていました。残された資料は少ないながらも、踝、リアスカート等、各所に増設されたスラスターがそれを雄弁に物語っています。結局のところ、この機体はあまりに高性能を狙いすぎ、実用化以前の段階の技術を盛り込んだために開発スケジュールは大幅に遅れ、結局、本当に実機が完成したのかすら不明なままです。一部の資料では、後年のエゥーゴがこの「S型」をベースに「リック・ディアス」を開発したとしていますが、どの程度、この機体の設計が取り入れられているのかは不明です。開発経路としては「幻の機体」と呼ばれたRX−78GP−02Aにもこの機体は影響を与えているはずなのですが、リックディアス同様、あるいはそれ以上に残された資料が少なく、その実状はいまだもって不明のままとする他はありません。開発着手は思いのほか早かったであろう本機も、実戦でその高性能を発揮する機会は永遠に失われたのです。


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