「赤十字」のこと


 なにげなく見ていても、UC世界にも赤十字がまだ存在しているということはわかる。これはこれでよいのだが、ガンダムがワールドワイドな作品として広く親しまれるためにはそれなりのグローバルな視点が必要だろう。しかるに、現状は赤十字なのである。宗教、特に既存のそれがタブーなのは分かる。しかし、それを言っては「赤十字」も同じである。おそらく疑問にも思わず使われ続けてきたものであろう。

 そもそも赤十字はスイス国旗に描かれた「ギリシア十字」の地と紋の色彩を反転させたものであり、元をただせばキリスト教のシンボル「十字架」に行き着く。そのため、イスラム圏では宗教上の問題から使用されない。ではイスラム圏では赤十字活動が行われていないかというとそうでもない。アンリ・デュナンの精神はイスラム圏でも高く評価され、モチーフが「十字架」である点を除けばなんら異を唱える人はいないのである。そのため、モチーフをキリスト教の「十字架」からイスラム教のそれである「新月」に変えた旗「赤新月旗」を以って医療活動のシンボルとしている。新月は古くから回教圏で使われてきたモチーフであり、日本にも普及したクロワッサンも元をただせばこの新月に行き着く。UC世界でイスラム教がどの程度の形で残っているのかは不明だが、「アーガマ」のハサンなどはムスリムの医師ではないかと睨んでいる。ならば彼の仰ぐ旗は「赤新月旗」であろうと思われるのだが、どうだろうか。

 これまで、キリスト教圏では「赤十字」、イスラム教圏では「赤新月」と単純に説明してきたが、それではこの両教徒が混在する地域ではどうしているのだろうか? 「赤十字を描いた救急車には乗れないから」といって手後れになるムスリムのケガ人もいるのだろうか? 筆者はこうした疑問をずっと抱き続けてきたわけだが、数年前、ニュース映像の中にバカバカしいほど単純な答えを見出だして腹を抱えて笑ったものである。ヨルダン川西岸だっただろうか、爆弾テロかなにかで負傷したケガ人の後ろにとまっていた白いライトバンには、堂々と「赤い十字と赤い新月が組み合わさったマーク」が描き込まれていたのである。抱き合うような形で仲良く描き込まれた「赤十字/新月旗」には脱力するほどの単純さと、見え隠れする「人間の知恵」が同居していた。

 さて、救急医療活動に従事する団体はなにも「赤十字」「赤新月」だけではない。世界で最も古い伝統を今に伝える救急医療団体があるのをご存知だろうか。彼らこそ「聖ヨハネ騎士団」又の名を「ホスピターラー騎士団」と呼ぶ。なにを時代錯誤な、と言われるかもしれないが、実際に1998年現在で彼らは医療活動に従事しているし、おそらく21世紀まで存続することは疑い得ない。「テンプル騎士団(聖堂騎士団)」と並んで最古の騎士団である「聖ヨハネ騎士団」は12世紀初頭には既に存在していた。場所は聖地エルサレム。後に十字軍国家の小アジア撤退とともにキプロス島を経て本拠をロードス島に移し、「ロードス騎士団」と称したが、これも1522年に陥落し、1530年にはカール5世からマルタ島を与えられ「マルタ騎士団」と称した。このマルタ島は地中海におけるキリスト教圏の最前線であったが、彼らはここを1798年、後の皇帝ナポレオン(当時はまだ一将軍の身)に降伏するまで死守した。彼の島は長い歴史の間に完全に要塞化され、その「バレッタ」の町は世界遺産にも指定されている。余談になるが、このナポレオンにはもう一つの最古級の騎士団、「ドイツ騎 士団(チュートン騎士団)」も決定的な敗北を喫し、没落の契機ともなっている。その後、聖ヨハネ騎士団は拠点をイタリアに移し、現在はローマに本部を置いて領土なき国家として活動を続けている。彼らの運営する医療機関は現在でも世界中に進出しており、「白地に赤いマルタ十字」を描いた救急車は今日もどこかで尊い人命を救っていることだろう。

 ざっと現在機能している救急医療機関について見てきたが、お分かりいただけただろうか? このように日本ではあまり知られていない(それだけ日本人の興味関心が西欧中心になってしまっているということなのだが)団体も存在しており、彼らの存在は宗教と切っても切れない関係にある以上、根の深いものであるといえる。こうした団体が一朝にして潰え去るという類のものでない以上、UC世界にも当然生き残っていることであろう。それを考えなしに「赤十字」で済ませてしまうのはいかがなものだろうか? 純粋に考えれば地球連邦の下では「赤十字」と「赤新月」が統合されていると見るべきだろう。そうすれば無用の対立も起きないのであり、連邦の理念とも合致する。であればその旗印は「赤十字/新月旗」であるべきであろう。ここまでは「理」である。しかし、そうは言っても何の説明もなされぬままに「赤十字/新月旗」が画面に出れば99.99%くらいの視聴者が面食らうことであろう。それこそ「考証」が「演出」を食ってしまうことにもなりかねない。そこら辺のサジ加減が微妙なのだが、「GUNDAM MILLENNIUM」ではこの辺にも手を抜くわけにはいかない と考えている。TV、映画、小説、コミック、それぞれに演出にも差があろう。ハードな作品を書こうとされる方の参考になれば幸いである。

 参考までに。「銀河英雄伝説」に登場する銀河帝国の医療機関のシンボルマークは当然ながら「赤十字」ではない。「ヘルメスの杖」である。こういう細やかな配慮には頭が下がる思いである。

 追記、イタリア時代の(つまり19世紀以降)聖ヨハネ騎士団についての記述をどこかで読んだ記憶があるのだが、自分の部屋の書架にあるにも関わらず探し出せずにいる。騎士関係の資料か、紋章関係の資料か、はたまた戦史関係の資料か、とんと思い出せないのだ。すぐにローマに移ってそれで「おしまい」ではなく、もう一つくらい面白いエピソードと変転があったような気がする。うっすらとだがパトロンの記述もあったように記憶している。ジャンルも分からぬようであれば、あの「折檻図書館」と呼ばれる魔窟から一冊の本を探し出すことなど不可能である。どなたか上記の案件について心当たりはないだろうか?


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