ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総進撃

01.12.19

 公開から5日目の水曜日、鳥取県米子市にある米子SATY東宝という映画館で「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総進撃」を観てきました。最終回18:35からの上映であり、同時上映の「とっとこハム太郎」は既に終了した後でしたから、観客は私を含めて10名に満たない数でした。おかげで、ゆっくりと観ることができました。「ハム太郎」を観なかったのが正解であったかどうかは疑問が残りますが…

 率直なところ、積極的に評価はしかねる部分があるのですが、少なくとも歓迎すべき映画であったと思います。一昨年の「ゴジラ2000」を観たときは、本当に「ゴジラ映画」というものに対して暗澹たる心持ちになったのですが、それにくらべればはるかに前向きに捉えることができる映画でした。(ちなみに、私は昨年の「ゴジラ対メガギラス」もけっこう好きだったりします…科学考証とかメチャクチャですけどね…

 とはいえ、(おそらく製作者側としては意図してのことだとは思うのですが)ゴジラ映画というキャラクターをここまで壊してしまったことが評価されるかどうかとなると、私としては疑問に思います。ゴジラというキャラクターは誰のものなのか、本作を観終わった後でしばし考え込んでしまいました。
 ゴジラが語られるとき、初代ゴジラを引き合いに出して、よく「怖いゴジラ」と言われます。しかし、ここで言うゴジラの「怖さ」はショッカーとかスプラッターのような怖さではないように思います。また、2作目以降の長いゴジラ映画の歴史の中で「ゴジラ」というキャラクターは「怖さ」のみで語られるものでもなくなりました。むしろ一般的なゴジラ映画のイメージとしては、「キングコング対ゴジラ」や「モスラ対ゴジラ」「地球最大の決戦」といったあたりの活劇路線の方がメジャーなのではないかと思います。

 とはいえ、子供の観客を意識しすぎて変に中途半端な内容になってしまったことが従来の特撮怪獣映画が行き詰まっていた一因であっかもしれません。だからこそ、あえてターゲットを大人の観客に絞った平成ガメラシリーズが私のようなオタク特撮ファンに歓喜をもって迎えられたのでありましょう。しかしながら、それでもなお「ガメラ3」の描写には賛否両論あったように思います。
 でもって、その「ガメラ3」でやったことをゴジラ映画の中でやってしまった…その心意気はオタク特撮ファンとしてはとても共感できる部分もあります。しかし、ゴジラ映画全体、ゴジラというキャラクターにとってみて幸せなことであったかどうか。
 私が観た劇場ではたまたま子供さんの観客は数名しかいなかったのですが、その中でも映画が進行していくにつれて、引きまくっているのが伝わってきました。何しろ、最初はけっこうにぎやかだったのが、だんだん無言になっていくんです。ましてや、今回は「とっとこハム太郎」が同時上映ですからいつもならゴジラ映画を観に行かないないようなお子さんでも観客になっているはず。なんだか、そういったお子さんたちに対してトラウマのタネを提供してしまったように思えてなりません。

 誤解しないでいただきたいのですが、私はゴジラ映画のなかに残酷描写(というのはおおげさですが)があることが悪いとは思っていません。ただ、やはりそれらは作劇上の必然性があってこそ意味を持つものであるし、それなりの抑制も必要であると思うのです。
 実際、「サンダ対ガイラ」や「フランケンシュタイン対地底怪獣」では(あからさまな描写ではないにせよ)けっこう残酷なシーンも出てきます。「サンダ対ガイラ」では、「ガイラ」が人を喰うことを示唆する描写があって、それが「ガイラ」の凶暴 性を引き立たせるのに実に効果を上げていました。また、過去のゴジラ映画でも怪獣によって人が死ぬシーンはたくさんあります。
 しかし、本作についていえば、そういったシーンは必然性があってのものではなく、なんだか製作者側が楽しんでやっているような気がしてなりません。どちらかというと悪趣味映画に近いのではないかと。
 「初代ゴジラ」は、ゴジラの猛威とそれに翻弄される人々の群像を描き、観る人にゴジラの超自然的な怖さ、人間の力ではどうにもならないゴジラの脅威を感じさせるものでした。冷静に考えてみれば、ゴジラが核の脅威の象徴などというのは陳腐な発 想です。しかし、スクリーン上のゴジラの姿は、それを実に説得力のあるものとしていたと思います。
 一方、本作ではゴジラとは「戦争犠牲者たちの残留思念」の象徴であり、バラゴン、モスラ、ギドラはヤマトを護る聖獣であるとしています。確かに、いくつかの場面では畏れを忘れた者への怒りといった意味も込められていたかもしれません。しかし、全体を通してみると、直接的な恐怖シーンを描きこそすれ、ゴジラや他の怪獣の持つ神性といったものは、どうしようもなく説明的で、しかもまったく説得力がないように感じるのです。

 製作者側は新しいゴジラ像を創ったと主張するかもしれませんが、本作品を後世の研究者がゴジラとして認めるかどうかは評価が別れるのではないでしょうか。

 また、せっかくゴジラに対してバラゴン、モスラ、キングギドラというオールスターキャストを用意したにもかかわらず、ほとんどカタルシスを感じることができなかったというのも致命的なのではないかと思います。

 それは人間側に対しても同じで、主人公は魅力的とは思えないし、せっかくの防衛軍もほとんど活躍しないし、防衛軍幹部はいかにもステレオタイプ的なキャラクターだし…怪獣の添え物的な役割を超えるものではなかったのではないかと思います。(宇崎竜童さん、かっこいいんですけどね)

 特撮シーンに関しては意欲的な部分が多々ありました。孫の手島の旅館がつぶされるシーンとか、バラゴン対ゴジラのシークエンスとかはなかなかいいなあと思いました。もっとも、実景との合成は相変わらずの部分があって、ほんのすぐそばでゴジラが暴れているのに、高架道路上を普通に自動車が走っていたりとか、興ざめだったりするのですが…また、ゴジラが海中から出現するシーンなどは、もっと高波が発生すると思うのですが…(港の釣り人や、ラスト近くのヒロインはゴジラ出現による高波にさらわれてると思います…)

 今回どうしてもなじめなかったのが、ゴジラの造形でした。何と言っても、上半身のバランスと、下あごの付け根付近の処理には大きな違和感を感じてしまいました。面白い動きとかもするのですが、下半身と上半身がずいぶんミスマッチのような気がします。腹が大きく、胸板は薄く、頭でっかちというスタイルは「逆襲ゴジ」を連想してしまいました。

 また、キングギドラも首が少々太めで、ちょっと短く見えてしまっているような気がします。バラゴンは悪くないんだけど、後ろ足の長さやその処理がちょっと…



 とかなんとか批判的なトーンで感想を書いてきましたが、冒頭でも述べたように、少なくとも製作者の意欲といった部分は(私は、それが空回りであったと感じていますが)評価すべきであると思います。「ゴジラ対キングギドラ」以降の平成ゴジラシリーズや、モスラシリーズあたりが毎年のんべんだらりと公開されていた頃は、半ば義務感というか「お布施」を出すような感じで映画館に足を運んでいたものです。そういった状況にくらべればこういった作品が公開されたことの意義は大きいと思います。ただ、個人的には、本作はあくまで傍流、いわば「ゴジラ対へドラ」であり、今後本作に刺激を受けた正統派ゴジラ映画が製作されることが望ましいと考えます。

 繰り返しますが、本作で行われたようなチャレンジは、実に尊重すべきものだと思います。また、願わくはそういった指向を是非オリジナル特撮(怪獣があっても可)SF映画という形で結晶させてほしいなあとも思う次第であります。


 というわけで、未見の方は是非劇場に足を運んで、その眼でご覧下さい。ついでに、「とっとこハム太郎」を観なかった私の選択が正しかったか否かご教示いただければ幸いです。


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